舊五代史卷十三 梁書第十三 楊崇本

邠州での自立と最期

  • 楊崇本は出自不明。幼くして李茂貞の仮子となり李継徽と称した。唐光化中、邠州節度使に任じられた。
  • 天復元年(901年)冬、太祖の北伐を受けて城を出て降伏し、太祖により邠州節度使に復し本姓に戻された。しかし妻が太祖により辱められた事件を機に太祖に叛き、李茂貞と結んで岐・蜀の連合軍で雍・華を攻めたが、太祖配下の郴王友裕らに阻まれた。
  • 天祐三年(906年)冬、再び大軍を美原に集めたが、劉知俊・康懐英に大敗し、以後は勢いを失った。乾化元年(911年)冬、子の楊彦魯に毒殺され、彦魯もまた養子の李保衡に殺されて邠州は末帝側に帰した。