舊唐書卷二百上 列傳第一百五十上 高尚

高尚

  • 高尚、幽州雍奴の人、本名不危。学問を好み文才があったが放蕩で母を顧みず、令狐潮の隣家の婢と通じ女児をもうけた。李斉物の推薦で長安に送られ吳懷実・高力士の周旋で丞相家の家庭教師となった。
  • 天宝元年(742年)左領軍倉曹参軍同正員。6載(747年)安禄山の掌書記に招かれ側近として信頼を得、図讖を解いて謀反を勧めた。
  • 11載(752年)屯田員外郎、東京陥落後は偽中書侍郎として偽の詔勅の多くを起草。顔杲卿の抵抗や河北諸郡の相次ぐ帰順により祿山が動揺し高尚らを叱責・遠ざけた際、田乾真が「事の成否は自明でない、尚・荘は佐命の元勲だ」と説得して和解させた逸話を記す。慶緒の代には偽侍中となった。