舊唐書卷一百九十二 列傳第一百四十二 崔覲
崔覲
- 崔覲は梁州城固の人。儒者だが仕官を好まず耕作を業とした。老いて子がなく田宅家財を奴婢に分け与えそれぞれ独立させた。覲夫妻は城固南山に隠棲し家事を顧みず、奴婢に順番で邸を訪ねさせ来れば酒食を供するのみとした。夫婦は林泉に相対し嘯詠を楽しみとした。山南西道節度使鄭餘慶がその行いを高く評価し節度参謀に招き幾度も府第に招いたが、吏として方略に乏しく人事に疎かった。餘慶は長者として寛容に遇した。太和八年、左補闕王直方が上疏し召見された際、文宗は便殿で時事を問うた。直方も興元の人で覲と城固山で隣り合っており、この日、覲の高い行いを推挙し起居郎として召す詔が下ったが、覲は病と称し応じず山中で卒した。
史論
- 高士は世俗の名利を忘れ、隠れもせず顕れもしない。隠を装って名を釣るような真似をすれば真の風は次第に失われる。泉石に廬を結び市朝の栄達を投げ捨て、出処に心を拘らせないこと、これを逍遙という。