盧鴻一
- 盧鴻一、字は浩然、本は范陽の人、洛陽に移り住んだ。若くして学業があり籀篆楷隷を能くし嵩山に隠棲した。開元初、幣礼をもって二度召されたが応じなかった。(開元)五年、詔が下され「玄風が長く廃れ淳化が興らぬことを恨み、遺賢を思うたび上皇の教えを聞きたいと願ってきた、卿は道理に通じ太一の道を窮め中庸の徳を実践し高尚な志は古人に並ぶ、これまで幾度も召したが辞退され続けている、朝廷と生を異にする趣向なのか山林に情を縦にして戻らぬつもりか、君臣の義は廃せぬ礼の大倫、束帛を賜り重ねてこの旨を告げる、翻然と志を改めよ」と促された。
- 鴻一は召しに応じ(開元)六年、東都に至り謁見の際に拝礼しなかった。宰相が通事舍人に理由を問わせると「老子の言に『礼とは忠信の薄きもの、依るに足らず』とある、山臣の鴻一は忠信をもって謁見する」と奏した。帝は内殿に召し酒食を賜り、「盧鴻一は召しに応じて至り至道を問えば淳風に適う、逸人を挙げるのは天下を勧めるため、諫議大夫を授ける」との詔を下したが鴻一は固辞した。さらに制が下され「昔、堯帝は許由の節を全うさせ、大禹も伯成の高潔を聞いた、天子にも臣とせぬ者、諸侯にも友とせぬ者がある道理、隠遁の時義は大きい、嵩山隠士盧鴻一は幽遠の跡を保ち篆素に情を凝らし隠居して志を求め行義で道を達した、幾多の年月を林壑に過ごした、逸人を挙げれば天下の人心が帰すという伝の言に従い礼を備え招聘したが、その毅然とした志は動かし難く、静を持して操を保ち心を洗って世の流れを戒め栄寵を固辞し風俗を厚くしようとしている、その志を曲げず自らを保つべし、会稽の厳陵や太原の王霸のように最後まで病を理由に帰ったのに倣い、諫議大夫のまま山へ帰す、毎年米百碩・絹五十匹を薬用として給し府県から隠居所へ送らせる、朝廷の得失を知れば奏上せよ」とされた。
- 山へ帰る際、隠居用の服と草堂一所を賜り厚遇された。