王友貞
- 王友貞は懷州河內の人。父の知敬は則天時代、麟臺少監で書に長じ知られた。友貞が弱冠の頃、母の重病に「人肉を食べさせれば治る」と医者に言われ、治療の術がないと考えた友貞は自らの股の肉を割いて母に食べさせ、母の病はまもなく癒えた。則天はこれを聞き邸に検分の使者を送り特に旌表した。友貞は学を好み《九経》を百遍読み子弟を厳父のように教えた。人の過ちを口にせず仏典を好み、雑味を絶ち約束を違えぬ人柄で「真の君子」と評された。
- 長安年、長水令を歴任し辞して帰郷した。中宗の東宮時代、司議郎に召されたが応じなかった。神龍初、太子中舍に任じられ礼をもって招かれたが、着任すると病を理由に固辞した。詔では「伯夷・叔齊の行いは貪を戒め、顏回・閔子騫の道は俗を勧める、王友貞は孝と信に篤く文史に富み財を貪らず官歴も評判が高いが俗世を離れ解脱の道に帰し薫修の誡を守る志があり、栄達を辞して情懇を重ねる、その浄い志を尊重し太子中舍人員外置として終身の全禄を給し在家のまま修道させる、州県に四季の禄を届けさせよ」と称えられた。
- 玄宗が東宮の頃も礼をもって召そうとしたが老齢を理由に応じなかった。90余歳、開元四年に卒した。「王友貞は元精を稟け大朴に心を遊ばせ孝は絶えることなく道は名付け難いほど高く俗を超えた、生前は高位になかったが没後にはその栄を認め上卿の服を贈る」との制が下され、銀青光祿大夫を贈られ本県の令に弔祭を命じられた。