舊唐書卷一百八十七下 列傳第一百三十七下 辛讜
辛讜
- 太原尹辛雲京の孫、壽州刺史辛晦の甥。慷慨で信義に篤く人の急を救うことを旨とした。
- 咸通十年(869年)、龐勛の乱で泗州が包囲された際、単身小艇で城柵をくぐり抜けて泗州刺史杜慆のもとに参じ、援軍の逗留を強く責めて出兵を促し、夜襲で三百の勇士を率いて入城し士気を回復させた。
- 淮南の援軍への使者を志願するなど連絡役として尽力、賊が淮河を鎖で断ち七か月に及ぶ攻囲が続く中、援軍要請を続け馬挙の大軍到着でついに囲みは解かれた。
- 子がなく甥の名を城外の縁者に書き残すなど死を覚悟して戦った。乱平定後、泗州団練判官・侍御史となり杜慆に従ったが、慆の死後は隠棲した。
史論
贊にいう――獣が邪を見分け、草が佞を指し示す。烈士は義に殉じ、危難に臨んで命を捧げる。国に忠臣あれば、亡んでもまた存す。何ゆえに国が滅ぶのか、それは奸邪が恩寵を受けるからだ。