舊唐書卷一百八十七上 列傳第一百三十七上 王義方

王義方

  • 泗州漣水の人。幼くして父を喪い母に孝を尽くし『五経』に通じたが謇傲で独行を好んだ。上京の途上、病父を見舞う徒歩の男に自分の馬を無償で与えるなど義侠を貫いた。晋王府参軍・弘文館直、魏徴に姪を娶らせられ「宰相の権勢にではなく知己の言葉に感じて娶った」と語った。
  • 刑部尚書張亮への連座で儋州吉安丞に貶され、渡海の際、風濤の中で祭文を捧げ神明に訴え難を逃れた。吉安では蛮俗の民に経学と釈奠の礼を教え歓迎された。
  • 張亮の甥皎の臨終を看取り、その妻子を伴い柩を運んで葬送するなど義理を尽くした。著作佐郎を経て顕慶元年(656年)侍御史。中書侍郎李義府が大理丞畢正義を使って淳于氏の罪を枉法で赦した事件を、母の激励を受けて弾劾。上疏では「李義府の権勢が生殺与奪を私している」と説き、廷劾でも痛烈に義府を糾弾した。
  • 高宗は義方の言葉遣いを不敬として萊州司戸参軍に左遷。母の死後は仕官せず教授に専念、総章二年(669年)五十五歳で卒した。『筆海』十巻、文集十巻を著し、門人何彦光・員半千は三年の師服喪に服した。
  • 員半千は斉州全節の人で経史に通じ、則天朝に天官侍郎に至り『三国春秋』二十巻を著した。別伝がある。