舊唐書卷一百八十五下 列傳第一百三十五下 袁滋

袁滋

  • 字は徳深、陳郡汝南の人。学問を好み、外従兄の道州刺史元結を頼って往来し重んじられた。黜陟使趙賛の推挙で試校書郎、鄂州で従事、詹事府司直を経て冤罪を晴らした功で御史中丞韋縚に侍御史に推挙され工部員外郎となった。
  • 貞元十九年(803年)、韋皋が西南夷の南詔と通じたのを機に使者に選ばれ、御史中丞を兼ね持節南詔使として赴いた。祠部郎中を経て翌年帰還、諫議大夫、尚書右丞・吏部選事、華州刺史・御史中丞・潼関防禦使・鎮国軍使を歴任し寛容な政治を行い、他境からの避難民を義合里に住まわせるなど慈愛を旨とした。金吾衛大将軍への異動時には老人が道を塞いで留任を求め、後任の楊於陵は「袁公の政は変えない」と宣言した。
  • 憲宗即位当初、杜黄裳と共に中書侍郎・平章事。韋皋の死後、劉辟が反乱を起こすと安撫に赴き、検校吏部尚書・平章事・剣南西川節度使として百姓に生祠を建てられた。戸部尚書、荊襄二帥、彰義軍節度・隨唐鄧申光等州観察使を歴任したが、逆賊呉元済との対峙が数年に及び功なく撫州刺史に左遷。まもなく湖南観察使として七十歳で卒し太子少保を追贈された。
  • 篆籀の書に長け、南詔行の見聞から『雲南記』五巻を著し、劉暉の『悲甘陵賦』に感じて『甘陵賦後序』を著した。子の袁都は翰林学士に至った。