舊唐書卷一百八十五下 列傳第一百三十五下 薛玨

薛玨

  • 字は温如、河中宝鼎の人。祖父薛宝胤は邠州刺史、父薛纮は蒲州刺史。門廕により懿德太子廟令、乾陵台令、太子中允・渭南尉を兼ね奏課第一となった。昭德令として清名を得たが碑を立てようとした県民を固辞し、楚州刺史・本州営田使となった。
  • 楚州の営田は宰相が遙領し刺史が専断できたが、俸銭・給与百余万、田官数百員、賦役対象三千戸など冗費が多かったのを整理して十のうち一二に絞り、それでも租入は増収となった。観察使に誣告され硤州刺史に左遷、陳州刺史に転じた。
  • 建中初年、黜陟使の李承・趙賛・盧翰がそれぞれ楚州・硤州・陳州での治績を上聞し、中散大夫・紫を賜った。宣武軍節度使劉玄佐の署奏で御史大夫・汴宋都統行軍司馬を兼ね、李希烈が汴州を去ると汴州刺史・河南尹・司農卿に進んだ。
  • 天下に刺史・県令の適任者を挙げる詔が出た際、辞策のみで選ばぬよう「良吏を求めるなら文学のみを求めるべきでない」と進言し、多くの称職者を得た。
  • 貞元五年(789年)京兆尹。剛厳で法理に練達したが細事に厳しく大局を欠くところがあった。貞元八年(792年)竇参の連座で太子賓客、まもなく嶺南節度観察使に任じられたが病没、七十四歳、廃朝一日、工部尚書を追贈。子の存慶には別伝がある。