舊唐書卷一百八十五下 列傳第一百三十五下 陽嶠

陽嶠

  • 河南洛陽の人、北斉右僕射陽休之の玄孫。儀鳳年間の八科挙に応じ将陵尉から詹事司直に進んだ。長安年間、桓彦範・袁恕己に推挙され右台侍御史に抜擢された(内史楊再思が「望まない者こそ登用すべき」との彦範の説に従った経緯がある)。
  • 景龍末に国子司業に転じ、恭謹で儒者の風があり職務に適任と評された。先聖廟・講堂を修めて碑を建てた。
  • 睿宗即位後、尚書右丞。都督府の外台設置に伴い涇州都督府に選ばれたが赴任せず、魏州刺史・袞州都督・荊州長史・按察使を歴任し清廉で聞こえた。魏州の民が耳を割いて留任を請うたほど慕われた。国子祭酒として尹知章・范行恭・趙玄默らを学官に推挙し、学生の綱紀粛正にも努めた。
  • 兄弟愛に篤く、孤児となった甥を我が子のように育てた。「地位は方伯に登ったが心は昔の一尉と変わらない」と語り、識者に称賛された。老いて致仕し、卒後は謚を敬とした。