舊唐書卷一百八十五下 列傳第一百三十五下 張知謇

張知謇

  • 蒲州河東の人、のち岐に移住。兄知玄・知晦、弟知泰・知默と五人兄弟で学問に励み、皆明経に及第した。容姿にも優れ、当時の名士から引き立てられた。
  • 天授年間以降、房・和・舒・延・德・定・稷・晉・洺・宣・貝の十一州刺史を歴任し威厳をもって治めた。則天はその才幹と容貌を賞し、画工に肖像を描かせ「才貌ともに優れた兄弟」と称した。
  • 房州刺史時代、房州に安置された廬陵王(のちの中宗)を董玄質・崔敬嗣らと共に保護し厚遇したため、中宗即位後に左衛将軍・雲麾将軍・范陽郡公に取り立てられた。弟知泰も右御史大夫・漁陽郡公に進み、兄弟そろって栄達した。
  • 知泰は武三思に忤って并州刺史などに転じ、景龍二年(708年)に卒し謚は定。知謇は洛州長史・東都副留守、左右羽林大将軍、同州・華州刺史を歴任し、大理卿で致仕、開元中に八十歳で卒した。
  • 知謇は請託を許さず、子姪でも学業が精しくなければ推挙しなかった。弟知默は来俊臣らに連座し子孫は禁錮された。知泰の子景升・景佚もそれぞれ開元中に大官に至った。