陳君賓
- 陳君賓、陳の鄱陽王伯山の子。隋に仕え襄国太守となった。武徳の初め、郡をもって帰順し東陽公に封ぜられ邢州刺史を拝した。貞観元年(627年)、累転して鄧州刺史となった。州邑は喪乱の後で百姓は流離していたが、君賓が至って才かに一月で皆復業した。貞観2年(628年)、天下の諸州がみな霜害・水害に遭う中、君賓の一境だけが免れた。その年は蓄えが多く、蒲・虞などの州の戸口がみなその境に入って食を求めた。
- 太宗は詔を下して労った(隋末の乱離で百姓が零落し、水旱の災いのたびに自らの徳の薄さを恥じ、去年関内6州や蒲・虞・陝・鼎などが旱に見舞われた際、刺史以下と百姓が朕の心を汲んで逐糧戸を安養し帰還の日にはそれぞれ余った糧を持ち帰らせたと聞き、水旱は無常だが互いに助け合う礼譲の風が興ったことを深く嘉するとし、養戸の百姓には財帛を惜しまず今年の調物を免ずるよう命じた)内容であった。
- その年、太府少卿として入朝し少府少監に転じた。貞観9年(635年)、事に坐して除名された。後に起用され虔州刺史を授けられ、卒した。