舊唐書卷一百七十六 列傳第一百二十六 馬植

出自と経歴

  • 馬植、扶風の人。父は曛。植は元和十四年に進士に及第しさらに制策科にも登り、寿州団練副使から出仕した。秘書省校書郎を得て三遷して饒州刺史に至った。開成初、安南都護・御史中丞・安南招討使に遷った。

安南での善政

  • 植は文雅の才に加え吏術に長けていた。三年、管内の羈縻州の首領たちが巣窟に自ら籠るか南蛮に誘われて招諭に応じない者もあり事に憂うべきものがあったが、着任以来信誠で約し逆順を諭したところ多くの首領が忠言を発し賦税を納めることを願い出たと奏し、武陸県を州に昇格させ首領を刺史とするよう請い、従われた。また陸州の廃止された珠池が再び真珠を産出するようになったと奏した。善政により検校左散騎常侍を加えられ中散大夫を加えられ黔中観察使に転じた。会昌中、入朝して大理卿となった。

晩年

  • 植は文学政事で当時に知られたが、久しく辺遠にあり朝に戻っても顕官を得られず内心不満を抱いていたことは、李徳裕が元来これを重んじなかったためであった。宣宗即位後、宰相の白敏中は徳裕と隙があり、徳裕が軽んじた者は必ず順を追わず抜擢した。植は金紫光禄大夫・行刑部侍郎に加えられ諸道鹽鐵転運使を充てた。戸部侍郎に転じ使を領することは元のままであった。まもなく本官のまま同平章事となり中書侍郎・兼礼部尚書に遷った。敏中が罷相すると植も罷免され太子賓客・分司東都となった。数年後、許州刺史・検校刑部尚書・忠武軍節度観察等使に出た。大中末、汴州刺史・宣武軍節度観察等使に遷り、鎮にて卒した。