舊唐書卷一百五十 列傳第一百 順宗諸子

概観

  • 順宗には二十三子があった。莊憲皇后王氏が憲宗皇帝を、王昭儀が郯王經を、趙昭儀が宋王結を、王昭儀が郇王綜を、王昭訓が衡王絢を生み、他の十八王の生母は記録にない。

封爵と薨去の記録

  • 郯王經、本名渙、順宗次子。当初建康郡王に封じられ、貞元二十一年に進封。太和八年薨去。
  • 均王緯、本名沔、順宗第三子。当初洋川郡王、貞元二十一年進封。
  • 漵王縱、本名洵、順宗第四子。当初殿中監・臨淮郡王、貞元二十一年進封。
  • 莒王紓、本名浼、順宗第五子。当初秘書監・弘農郡王、貞元二十一年進封。太和八年薨去。
  • 密王綢、本名泳、順宗第六子。当初漢東郡王、貞元二十一年進封。元和二年九月薨去。
  • 郇王綜、本名湜、順宗第七子。当初少府監・晉陵郡王、貞元二十一年進封。元和三年四月薨去。
  • 邵王約、本名漵、順宗第八子。当初國子祭酒・高平郡王、貞元二十一年進封。
  • 宋王結、本名滋、順宗第九子。当初雲安郡王、貞元二十一年進封。長慶二年薨去。
  • 集王緗、貞元二十一年封。長慶二年薨去。
  • 冀王絿、本名淮、順宗第十子。当初太常卿・宣城郡王、貞元二十一年進封。太和九年薨去。
  • 和王綺、本名湑、順宗第十一子。当初德陽郡王、貞元二十一年進封。太和七年薨去。
  • 衡王絢、順宗第十二子。貞元二十一年封。寶歴二年薨去。
  • 欽王績、順宗第十三子。貞元二十一年封。
  • 會王纁、順宗第十四子。貞元二十一年封。元和五年十一月薨去。
  • 福王綰、本名浥、順宗第十五子(母は莊憲王皇后、憲宗と同母)。当初光祿卿・河東郡王、貞元二十一年進封。咸通元年、特に司空を冊拝され、翌年薨去。
  • 珍王繕、本名況、順宗第十六子。当初衛尉卿・洛交郡王、貞元二十一年進封。
  • 撫王紘、順宗第十七子。貞元二十一年封。咸通四年、特に司空を冊拝、五年に司徒を冊、乾符三年に太尉を冊、同年薨去。
  • 嶽王緄、順宗第十八子。貞元二十一年封。太和二年薨去。
  • 袁王紳、順宗第十九子。貞元二十一年封。太和十四年薨去。
  • 桂王綸、順宗第二十子。貞元二十一年封。太和九年薨去。
  • 翼王綽、順宗第二十一子。貞元二十一年封。咸通二年薨去。
  • 蘄王緝、順宗第二十二子。咸通八年封。

史論

  • 史臣曰く――聖人が天下に君臨し国の基を開くのは、皆天命を受け帝位を担うことによる。太昊以来五運が相継ぎ殷湯に至るまで歴数は長く続いたが、均平の教化を行ったのみで封建の名は聞かれなかった。周・漢に至り初めて子弟を諸侯に立て藩屏とし城壁のように国を守らせたが、王室が衰えると王莽・董卓のような乱を招いた。唐室は艱難以来、両河で兵革がしばしば起こり、諸王は封じられても実際に出閣(赴任)することはついになかった。帝王が天下の尊位にあって億兆の民を治めるには、ただ理道を平らかにし、日夜謹んで賢を任じ能を用い、官を設け職を分けることこそが肝要である。そうすれば自然と四海が推戴し天命の加護を得るのであり、たとえ封建がなくとも大業は永く固まるものである――幼い子弟を各地に配して重石とする必要がどれほどあろうか。
  • 贊に曰く――孝文帝は礼を秉り籓邸の道を弘めた。一族を睦じくし親を展べることは、戚里の儀刑となる。しかし出閣もせず藩に臨むだけの封建は、いわば形式に過ぎない。悪鳥を防ぎようもなく、終には籠に囚われる運命を辿るのと同じである。