蕭昕
- 昕、河南の人。開元十九年に博学宏辞に及第し陽武縣主簿、天寶初に再び宏辞に及第し壽安尉から左拾遺に進んだ。無位無官の張鎬と親交を結び「用いられれば王者の師、用いられねば谷間の老翁」と推薦し、玄宗が拾遺に抜擢した鎬はやがて将相となった。安禄山の乱では贊善大夫来瑱を将帥に推挙し、思明の乱鎮圧で功をあげさせた。
- 憲部員外郎から副元帥哥舒翰の掌書記、潼関敗戦後は蜀へ逃れ司門郎中、安陸長史・河南等道都統判官・中書舍人・兼揚府司馬を経て秘書監。代宗の陝州行幸に武関から駆けつけ国子祭酒。大歴初、回鶻への弔問使として赴いた際、回鶻から「安・史平定の功は我らにあり、唐が馬の対価を怠るのは不信ではないか」と詰問されたが、昕は「僕固懷恩の乱で回紇が西戎と結び侵攻したにも関わらず、唐が旧功を重んじたからこそ帰国できたのだ、不信を犯したのは回紇の側だ」と論破し、回鶻は恥じ入り厚礼で送り返した。常侍に進んだ。
- 十二年、朱泚の乱では徒歩で城を脱し山谷に潜んだ。奉天で太子少傅、貞元初、兼禮部尚書・知貢挙、五年に致仕、七年に九十歳で自宅で卒し廢朝、諡は懿。