舊唐書卷一百四十六 列傳第九十六 李自良

李自良

  • 自良、兗州泗水の人。安祿山の乱で兗鄆節度使能元皓に従い戦功で右衛率、袁傪の袁晁討伐にも従い試殿中監、浙江東道節度使薛兼訓に隷した。兼訓が太原に移鎮すると従い河東軍節度押衙。兼訓死後は鮑防に仕え牙将となった。
  • 回鶻侵攻の際、自良は防に「遠来の敵と正面から戦わず、帰路に二塁を築いて堅守し、敵が疲れて引く所を突くべき」と進言したが防は聞かず、焦伯瑜・杜栄国を出撃させ百井で大敗した。自良の名はこれで知られるようになった。馬燧が防に代わると自良は代州刺史・兼御史大夫・軍候となり、深く信頼された。建中年間、田悦討伐・李懷光討伐で自良は河東軍の主力として戦功を重ね、馬燧の功業は自良の輔佐によるところが大きかった。
  • 貞元三年、馬燧が入朝して兵権を解かれた際、徳宗は自良に代わりを望んだが、自良は固辞し右龍武大將軍となった。しかし河東は要衝で人選が難しく、徳宗は「馬燧への礼を尽くすのは結構だが、北門の任に卿ほどの適任はいない」と説得し、檢校工部尚書・兼御史大夫・太原尹・北都留守・河東節度支度營田觀察使に任じた。在鎮九年、質素倹約に徹し軍民に慕われた。十一年五月、六十三歳で軍中に卒し、徳宗は深く惜しみ廢朝一日、贈左僕射。