舊唐書卷一百〇九 列傳第五十九 白孝德

河陽での一騎討ち

  • 白孝徳は安西の胡人、驍悍で胆力があった。乾元中、李光弼に仕え偏裨(副将)を務めた。史思明が河陽を攻めた際、驍将劉龍仙に鉄騎五千を率いさせ城を臨んで挑戦させた。龍仙は勇猛を恃み右足を馬のたてがみに乗せ光弼を嫚罵した。光弼は城に登って眺め諸将に「誰が討ち取れるか」と問うと、仆固懐恩が名乗り出たが、光弼は「これは大将のすることではない」と述べた。次に選ぶと側近が「白孝徳がよいでしょう」と述べた。
  • 光弼は孝徳を招き「できるか」と問うと、孝徳は「できます」と答えた。光弼が「どれほどの兵が要るか」と問うと、孝徳は「独りで行けます」と答えた。光弼はその勇気を壮とした。最後に何を望むか問うと、孝徳は「軍門で五十騎を選んで後詰めとしていただきたい、また大軍に鼓噪させ勢いを増していただきたい、他は要りません」と答えた。光弼はその背を撫でて送り出した。
  • 孝徳は二本の矛を挟み馬を鞭打って川を横切った。半ばまで渡った時、懐恩が「勝てるだろう」と祝すと、光弼は「まだ結果は出ていないのに、なぜ勝てると分かるのか」と問い、懐恩は「手綱さばきの見事さから、万全と見受けられます」と答えた。龍仙は孝徳が独りで来るのを見て軽んじ、足も鬣から下ろさなかった。孝徳が近づくと動こうとし、孝徳が手を振って動かないよう合図すると、龍仙は意図が読めず動きを止めた。孝徳は「侍中(光弼)が私に伝言させた、他意はない」と呼びかけた。龍仙は十歩の距離で言葉を交わすと、以前と同様に汚い言葉で罵った。
  • 孝徳は馬を止め機をうかがい、目を怒らせて「賊よ、私を知っているか」と問うと、龍仙は「誰だ」と応じた。孝徳は「私は国の大将白孝徳だ」と答えた。龍仙は「何という豚犬か」と応じた。孝徳は大声を発し矛を持って馬を躍らせ突撃した。城上では鼓噪が起こり五十騎が続いて進んだ。龍仙は矢を放つ暇もなく堤上を逃げ回った。孝徳は追いつき首を斬り持ち帰った、賊軍は大いに驚いた。
  • その後、度々の戦功により安西北庭行営節度・鄜坊邠寧節度使に至り検校刑部尚書を歴任し昌化郡王に封じられた。家の不幸により職を退いたが、喪明けの後、旧官に復した。

晩年

  • 大暦十四年九月、太子少傅に転じ、まもなく卒去、享年六十六、太子太保を追贈された。

史論

  • 史臣曰く: 歴代の武臣で壮勇に優れた者は多いが、節行が人々の模範となる者は稀である、まして蛮夷の人においては尚更である。馮盎は智勇を備え節を守り、社爾は廉慎で足るを知り、蘇尼失は恩恵深く、史忠は清廉謹直であった。吐蕃・吐谷渾を破る用兵はその勇であり、心が鉄石のようであったのはその忠であり、万均の官を奪わせなかったのはその恕であり、延陀への降嫁を阻んだのはその智であり、高突勃の死を赦したのはその識である。大功を立て顕位にありながら日夜怠らなかった者、それが何力であった。常之は私馬のために官兵を赦し将士と賞賜を分け合った、古の名将にもこれに勝る者はいない。多祚は身を忘れ国に尽くし、孝徳は壮勇で功を立てた、いずれも三軍の傑物であって、決して九夷(異民族)の卑しさに留まるものではない。嗣業は力を尽くして中興を助け最後は王事に殉じた、他の者と並べて論じることはできない。

  • 贊にいう: 君子の居るところ、九夷にも卑しさはない。壮なるかな李嗣業、誰がその右に出ようか。