洪秀全演義第五十四回 金陵を破り太平国を結び、野史を編み懊儂歌を重ねて題す (破金陵歸結太平國 編野史重題懊儂歌)

処州陥落

  • 楊輔清の伏兵に完全に包囲された慶瑞軍は総崩れとなり、二万余のうち一万余が死傷、数千が投降する惨敗を喫する。穆騰阿・張其光に護られた慶瑞はかろうじて処州城を目指すが、既に楊輔清の別動隊が城を奪っており、雲和・龍泉方面へ逃げるほかなくなる。
  • 楊輔清は「慶瑞が地の利を読めず、援軍を待たずに深追いした」ことを勝因として語り、処州を確保したうえで温州方面の攻略と閩への進軍を進める。

魏超成の広信攻略

  • 楊輔清と呼応して江西方面から福建を目指す魏超成は貴溪から弋陽へ進撃し、清将王健元・袁民の軍を撃破。弋陽を得て広信府へ迫る。
  • 曾国藩は慶瑞・王健元らの求めに応じ、朱品隆・江長貴、続いて蕭啓江・張運蘭を派遣するが、各軍は疲労や病、行き違いにより連携がとれない。

廣信をめぐる攻防

  • 太平軍の翰王項大英は朱品隆・江長貴の軍を広信北路で迎え撃ち、疲弊した清軍を撃破して数千を討ち取り、多数を降す。
  • 魏超成は投降した都司賴正修を使った偽情報工作で、蕭啓江・王健元をそれぞれ欺く。蕭啓江は内応を信じて夜襲をかけるが伏兵に遭って大敗し、自刎しようとするが部下に止められ敗走。王健元も偽の書状に欺かれて城外へ誘い出され、その隙に広信府城を奪われる。副将袁民は城内で戦死する。
  • 蕭啓江は敗戦の責を負って引責を申し出、駱秉章の四川入りに伴われて湘軍を離れる。魏超成は広信の物資を得た後、張運蘭との決戦を避けて福建へ進み、楊輔清との合流を目指す。

金陵攻撃の策

  • 曾国藩は閩方面の危機を受けて勝保に金陵直撃を提案。勝保は部将の議論を経て、湖北方面は鮑超・多隆阿に任せ、自らは徳興阿と共に金陵へ進む方針を固める。

李昭壽の離反

  • 六合・滁州で戦功を重ねてきた李昭壽は、その粗暴な性格ゆえ同僚から疎まれ、王位も得られず不満を溜めていた。
  • 天京から陳得風による揚州転任の命が届くと、李昭壽は陳得風の下風に立つことを潔しとせず反発。陳玉成が小池駅への移動を命じると、部将朱志元にそそのかされて勝保へ内通し、滁州を献じて投降してしまう。
  • 洪秀全・陳玉成はこの離反に衝撃を受け、北伐の計画が崩れることを憂える。

太平天国の終焉

  • 語り手は、太平天国が金田挙兵から金陵定鼎まで多くの人材を擁しながら北伐を果たせなかった要因を、東王・安王・福王らの誤りと洪秀全の優柔不断に帰し、以後の急速な瓦解を要約する。
  • 石達開は四川で駱秉章に追い詰められ全軍を失い、左宗棠は杭州を、李鴻章は蘇州・常州一帯を、曾国荃は金陵を攻める。洪秀全は安・福両王の言に従って李秀成を都に留め置いたまま祈祷に頼り、軍務を顧みなくなる。
  • 蘇州陥落・譚紹光の戦死の報を受け、洪秀全は密かに服毒して死去。まもなく南京は曾国荃に攻略され、李秀成も捕らえられて刑死し、太平天国は滅亡した。曾国藩・左宗棠・曾国荃・李鴻章らは清朝の功臣として栄達した。

評語

  • 後人がこの顛末を悼んで詠んだ詩四首を掲げる。趣旨は――同胞同士が血を流し合った末に功成るも国は哀れであること、覇業も水泡に帰し成敗のみで英雄を論ずべきでないこと、故国の正朔が絶え旧都の山河のみが残る哀愁、そしてもし北伐が本当に成し遂げられていれば、それこそ千古に語り継がれる偉業になっていたはずだという惜別の情である。