洪秀全演義第十六回 洪宣嬌蕭朝貴を痛哭し、銭東平曾国藩を大破す (洪宣嬌痛哭蕭朝貴 錢東平大破曾國藩)

陳玉成の来帰

曾國藩は勅を受けて団練軍を編成し、塔齊布・羅澤南・楊載福・曾國葆に分軍を任せて体制を整えていた。巡撫張亮基はその旨を北京へ奏上する一方、石達開の先鋒が祁陽に迫ったため、胡林翼を参謀に自ら衡州救援へ向かい、曾國藩にも団練軍での呼応を求めた。両軍は衡州目指して進発する。折しも秀全の陣中には胡以晃の紹介状を携えた陳玉成が来訪していた。陳玉成は湖北麻城の出で、幼くして両親を失いながら槍術に長け、湘・桂の間で貧民に施しをして名を知られた人物である。秀全は以前から名を聞いていたと歓迎し、陳玉成も臣従を誓った。

石達開の来訪と援軍配置

そこへ石達開が到着し、張亮基・曾國藩の両軍が衡州救援に向かっていることを報告した。錢江は曾軍の羅澤南、張軍の胡林翼がともに侮れぬ人物だと評し、李秀成を石達開の陣へ増援に送った。石達開が陳玉成の噂を尋ねると、秀全が両者を引き合わせ、達開は陳玉成の器量に感服して前軍への加入を願い出、秀全もこれを許した。陳玉成・李秀成は石達開に従って衡州へ進んだ。

清軍側の軍議

曾國藩の団練軍が到着すると、錢江は蕭朝貴・楊輔清に五千を率いさせて後詰めとし、自らも大隊を率いて進んだ。張亮基は「洪軍の勢いは大きく緒戦で挫かれれば両湖が動揺する、堅守が上策」と説くが、曾國藩は「朝廷の付託を果たせねば洪軍に諸郡を席巻されよう」と決戦を主張する。胡林翼は「広西へ間者を送り、洪秀全が楊秀清を疑って死地に留めているとの流言を放って秀清の離反を誘いつつ、我らは衡州を堅守して変化を待つべき」と献策する。羅澤南は「間者の計と決戦の両方を行えばよい」と主張し、胡林翼は江忠源・向榮の敗因を挙げて軽視を戒めたが、曾國藩は羅澤南の速戦論を採用し、間者派遣と決戦を並行して進めることに決した。

誘き出しの計と蕭朝貴の戦死

石達開は攻城の準備中に蕭朝貴・楊輔清の来援を得て軍議し、李秀成は「敵将は驕っているので、これを利用して曾國藩を破る」との策を献じ、達開は全軍を十里退かせた。急報に驚いた秀全に、錢江は「李秀成に任せておけばよい」と答え、韋昌輝・李世賢を後方に配して楊秀清への備えとした。曾國藩側は洪軍の後退を怪しみつつも追撃を決断し、楊載福・王興国を先鋒に進ませたが、林中に洪軍の旗が見えたため胡林翼は進軍中止を進言、しかし洪の水軍(蘇招生・陸順德)が衡州城を直接襲うとの報が入り、事態は急変する。

曾軍への反撃と胡林翼の計

胡林翼の勧めで水路遮断に転じる一方、曾國藩は塔齊布を衡州救援に回した。石達開は羅大綱・陳玉成に曾軍を、李秀成・蕭朝貴に張亮基軍を牽制させ、自ら水軍を率いて前進した。陳玉成・羅大綱の猛攻に羅澤南は包囲され窮地に陥るが、楊載福に救出される。張亮基も陳坤修の一軍を洪の水兵阻止に出すが石達開に撃退され苦戦。胡林翼は偽って退却を装い伏兵で洪軍を誘う計を献じる。蕭朝貴は李秀成の制止を振り切って追撃を強行し、伏兵の銃撃を受けて戦死した。

李秀成の報復と大勝

激怒した李秀成は伏兵を殲滅し、蕭朝貴の遺体を収容。悲嘆に暮れた洪宣嬌も女兵を率いて参戦し、羅大綱・陳玉成らと合流して張・曾両軍を大破、多数の死傷者と輜重を得た。夜になったため軍を収め、石達開は蕭朝貴が号令に背いたことによる痛恨の勝利であったと洪宣嬌を慰めた。

洪秀全の慟哭と善後

勝報とともに蕭朝貴の戦死を聞いた秀全は慟哭し、深く悼んだ。李秀成は自らの若輩ゆえの威令不行き届きを詫びて退居を願い出るが、秀全はこれを引き止め、蕭朝貴を手厚く葬り、後日追贈することとした。

衡州総攻撃の準備

錢江は敗兵の再編を予測し、林彩新・賴文龍・古隆賢らに醴陵・攸県・耒陽の攻略を命じ、自ら李秀成と湘江および衡州城西南を偵察した。水軍の呉定彩・蘇招生・張順德には浮橋焼却と東門呼応での城内突入を、陳坤書には渡河援護を命じ、李秀成・陳玉成・李世賢・賴漢英に曾國藩本隊攻撃を、石達開・羅大綱、韋昌輝・譚紹洸にも別命を与え、総攻撃の期日を定めた。

衡州陥落

洪秀全は李開芳・林鳳翔と中軍で後詰めした。張亮基・胡林翼は蕭朝貴戦死を機に洪軍の停滞を予想するが、実際には大軍が押し寄せ、胡林翼は洪軍の動きから水路侵攻を察して備えるも、攸県・醴陵・耒陽の三県からの救援要請にも兵を割けず、曾國藩の激励もあって籠城継続を決めた。翌日、洪の水軍が浮橋を焼き、陳坤書が渡河して右岸の清兵を潰走させ、石達開・羅大綱が西南両門を、韋昌輝が火薬で東門城壁を爆破して突入、張亮基は敗走した。曾國藩軍も李秀成に牽制され、東門陥落の混乱に乗じて突破され、羅澤南の防戦も及ばず退却する。

曾國藩の危機

洪秀全自ら李開芳・林鳳翔を率いて曾國藩を包囲するが、胡林翼・曾國葆が救援に駆けつけ辛くも脱出する。逃走中に曾國藩は落馬したが、胡林翼配下の張玉良に救われた。李秀成らが遠くまで追撃し、大戦果を挙げて洪秀全は衡州へ引き上げた。

曾國藩と張玉良

救われた曾國藩が名を尋ねると、張玉良は「不遇の身ゆえ名乗る機もなかった」と答えた。曾國藩はその武勇に感嘆し、湖南出身で勇猛なこの人物を惜しんだ。敗残の兵をわずかに率いて退いた曾國藩は、同じく残兵をまとめた張亮基と落ち合い、互いに敗戦の顛末を語り合った。