皇清開國方略太祖髙皇帝 天命二年丁巳 1617年

東海沿辺諸部の招撫

  • 春二月丙申朔、東海沿辺の諸部にはなお帰順しない者が多かったため、太祖は兵四百を遣わして散在する部衆をことごとく収め、島に拠って服さぬ者は小舟で攻めて連れ帰った。
  • かつて壬子年(1612年)に蒙古科爾沁貝勒明安がその娘を太祖の妃として送っていたが、この年来朝した。太祖は百里外の富爾簡岡まで自ら出迎え馬上で宴を設けた。明安は駝十頭・馬牛各百頭を献上し、太祖は一月にわたり厚遇して見送りには人四十戸・甲四十副・緞疋などを賜った。

訴訟の慎重な取り扱い

  • 秋九月癸亥朔、太祖は訴訟の丁寧な審理を命じた。かねて元年七月、太祖は「事は一人で独断すべきでなく、訴えは公の場で聴くべきで、大臣額亦都が私宅で訴えを受けたのは処罰済みである。以後、貝勒大臣以下、罪を得た者は公正な裁断に静かに従うべきで、抗弁する者は加重処罰とする」と諭していた。
  • この年さらに「罪人を捕えても直ちに刑戮すべきでなく、詳しく審議し慎重に結審せよ。争論の際に一方が先に怒っても、それに応じて怒るべきではない。怒らず受け止める者こそ善であり、先に怒った者も過ちを認め引き下がれば共に善に帰す」と諭した。