高士傳卷二 閔貢
節士としての評判
- 閔貢は字を仲叔といい、太原の人である。世に節士と称され、あの潔癖で知られる周党でさえ自分は及ばないと思うほどであった。
- 周党は仲叔の食事に野菜が無いのを見て生の蒜を贈ったが、仲叔は「私は煩わしさを省きたいのに、これでは却って煩わしくなる」と言って受け取っても食べなかった。
招聘とその失望
- 建武年間、司徒侯霸の招きに応じて赴いたが、侯霸は政務の相談すらせず、ただ骨を折らせるだけであった。
- 仲叔は恨んで「私を問うに足りぬ者と見たのか。それなら招くべきではなかった。招いておいて意見を問わないのは人を失うことだ」と言い、辞めて檄文を投げ捨てて去った。
- その後博士に徴されたが応じなかった。
晩年の逸話
- 安邑に寄寓し、老いて病み家は貧しく、肉を得られなかった。毎日豚の肝一片を買おうとしたが、屠者が売ってくれないこともあった。
- その県令がこれを聞いて役人に常に与えるよう命じた。仲叔は不審に思って尋ね、事情を知ると「閔仲叔は口腹のことで安邑の人に迷惑をかけてよいものか」と嘆いた。
- そこで安邑を去り、沛に寄寓して天寿を全うした。