高士傳卷二 摯峻

出自

  • 摯峻、字は伯陵、京兆長安の人。若くして清節を修め、太史令の司馬遷と親しく交わったが、峻だけは身を退いて徳を修め、岍山に隠棲した。

司馬遷の勧めと峻の返書

  • 遷が官位に就いて後、書を送って峻に仕官を勧め、「君子が道において貴ぶものに三つある。最上は徳を立てること、次は言を立てること、次は功を立てることだ。あなたの才能は絶大で志も高く、身を善くし冰清玉潔であって、既に貴い。しかしまだ最上の徳を尽くしてはいない。どうか少し意を用いてほしい」と述べた。
  • 峻はこれに答えて、「古の君子は自分の能力を計って行動し、徳の程度を測って身を処す。だから悔いが身に及ばない。利は不当に受けてはならず、名は不当に得てはならない。漢が興って以来、帝王の道はここに至って明らかとなり、才ある者は利を見出し、不肖の者は身を退く、それも時勢というものだ。『周易』にも君子には天命があり、小人は用いられないとある。私はただゆったりと余生を過ごしたいだけだ」と述べた。
  • 峻の節操を守って揺るがぬ様はこのようであった。

遷の末路と峻の生涯

  • 遷は太史の官にあって李陵のために弁護し、腐刑(宮刑)に処せられ、果たして悔いを招き辱めを受けた。
  • 峻はついに志を高く保ち仕官せず、岍で没した。岍の人々は祠を立てて彼を「岍居士」と号し、代々祀って絶えることがなかった。