出自
- 許由、字は武仲。陽城槐里の人。義に基づいて行動し、不義の席には座らず不義の食は口にしなかった。後に沛澤のほとりに隠棲した。
堯からの禅譲を辞退
- 堯は「太陽が昇っているのに松明を消さないのは無駄骨であり、雨が降っているのに灌漑を続けるのも骨折り損だ。あなたが立てば天下は治まるのに、私がなお位にとどまっているのは物足りない。どうか天下をお受け取りいただきたい」と許由に譲位を申し出た。
- 許由は「あなたが治めて天下はすでに治まっている。それなのに私が代われば、名のために動くことになる。名とは実体の付属物にすぎない。鷦鷯は深林に巣くっても一枝あれば足り、偃鼠は河の水を飲んでも満腹すれば十分だ。天下など私には無用のものだ」と答え、受けずに逃げ去った。
嚙缺との問答と洗耳
- 逃げる途中、嚙缺に出会って行き先を問われ、「堯から逃れるところだ。堯は賢者が天下を利すると知っていても、それが天下を損なうことまでは知らない」と語った。
- 許由は中嶽潁水のほとり、箕山の麓に隠れ耕して生涯天下に色気を見せなかった。堯が再び九州の長に招こうとすると、許由はこれを聞くのも嫌がり潁水のほとりで耳を洗った。
- 友の巢父が牛を連れて水を飲ませようとした際、耳を洗う許由に理由を尋ねると、許由は「堯が私を九州の長に招こうとし、その言葉を聞くのが嫌で耳を洗った」と答えた。巢父は「お前が人里離れた高い岸や深い谷に住んでいれば誰にも見られなかったはずだ。お前が浮世をさまよい名誉を求めたせいで、私の牛の口を汚してしまった」と言い、牛を川上に連れて行って水を飲ませた。
死後
- 許由の没後、箕山の頂に葬られ、その山は許由山とも呼ばれた。陽城の南十余里にある。堯はその墓に詣で、「箕山公神」と号し、五嶽に配して代々祭祀を絶やさず、現在に至るまで続いている。