金史卷一百四 列傳第四十二 郭俁

監察と辺務

  • 郭俁、字は伯有、澤州の人。大定22年(1182年)進士。長子主簿・萊州観察判官・萊陽県令を歴任し、尚書省令史に補せられ、大理司直に至った。母の喪に服した後、太常博士・左司都事を歴任。御史台は俁および前応奉翰林文字張檝、吏部主事王質、刑部主事穆延居中、通事舎人完顔和卓、宏文校理博斯呼、吏部架閣管勾烏庫哩和尚、尚書省令史温特赫思敬を才幹ありとして推挙し、それぞれ一等昇進された。俁は平陽府治中に、張檝は国子博士に、王質は昭義軍節度副使に、穆延居中は大理司直に、完顔和卓は侍儀司令に、博斯呼は同知宏文院事に、烏庫哩和尚は利渉軍節度副使に、温特赫思敬は同知定武軍節度事に、それぞれ遷った。
  • 俁は同知登聞鼓院兼秘書丞に召され、礼部郎中・滕州刺史・同知真定府事を歴任。毎季の巡尉官の注擬に関して刑・両部の斟酌する盗賊の多寡を選注に反映させるよう上言し、詔で議行された。中都西京按察副使、国子祭酒に遷り、泰和6年(1206年)伐宋の際、宣差山東安撫副使に任じられ、翌年山東宣撫副使に遷った。大安元年(1209年)、遼東按察転運使・中都路都転運使・泰定軍節度使・陝西東路按察転運使を歴任。貞祐3年(1215年)按察使罷止後も本路転運使として行六部尚書となり、河北西路転運使に転じ致仕。元光2年(1223年)卒した。