金史卷一百三 列傳第四十一 納喇呼喇勒

段階

  • 大名路の人、淳直寡言で読書を好んだ。承安二年(1197年)進士第一、翰林応奉から括牛調査で丞相襄の家奴の不正も容赦なく摘発。曹州刺史として私渡(不法渡し場)を営む豪民を摘発、南京路按察副使などを歴任。貞祐年間、河東南路宣撫副使として城郭修繕・器械整備・鄉兵編成・儒士登用など戦時体制を整え、鹽米備蓄も充実させ功により資善大夫を賜った。経略使に任じられるも病のため赴任できず絳州で卒去。

史論

  • 泰和と貞祐の間はわずか五年ながら、故将・遺老は依然として在職していた。高琪が寵を得ると宿将は皆外に斥けられ、髙汝礪が任用されると旧臣は皆藩に留められた――重責を与えるように見せて実はこれを疎んじたのである。舒穆嚕仲溫以下の記述は、まさにその当時の将校の実態を示すものである。