金史卷一百 列傳第三十八 張煒
段階
- 字は子明、洺州永年の人。大定二十五年(1185年)進士、功利を語ることを好み廉節に乏しく、承安五年(1200年)張万公に小人と評された(田櫟・張嘉貞と共に)。西京転運使同知、界牆築造を担当、鹽米交換策を上奏したが世宗(章宗)は「煩瑣にならぬよう」と戒めた。西北路軍儲の管理では商人からの徴収に頼り不正を招いた。左丞相崇浩の推挙で財政専任職に就き利殖に功があるとされたが、王謙の調査で多額の散失が発覚。大安三年(1211年)再任するも河東敗軍時「張宣差が我らを苛烈に扱った、倒戈して殺したい」と兵士に怨まれた。宣宗は才を評価しつつ実力不足を見抜き重用しなかった、貞祐四年(1216年)卒去。