金史卷一百 列傳第三十八 珠格筠壽

段階

  • 貞祐間、器物局直長から副使。貞祐三年(1215年)工部の白牯革徴発(御用鞠杖のため)に際し、国難の中での不急の徴発を諫めた。宣宗は不悦であったが翌日橋西提控に転任させた。

史論

  • 孟鑄・宗端修・路鐸はいずれも章宗に尽言したが擯斥された。鑄が呼沙呼を弾劾したのは先見の明であったが、その言葉が用いられなかったため後の呼沙呼の逆謀・胥持国の誤国を招いた。宣宗の代、完顔蘇哷・許古も敢言者であったが髙琪・汝礪に挫かれた。「簣土では河決を塞げない」との言葉通りである。完顔伯嘉は功により大政に参与しながら一朝も安泰でなかった、直言の難しさはこれほどである。珠格筠夀はいわゆる「藝事を執りて諫める者」であろう。