金史卷九十七 列傳第三十五 劉璣
段階
- 益都の人、天徳三年(1151年)進士。左拾遺兼許王府文学として王府事の奏上を世宗に「職分を越えた」と戒められた。漕運費用の削減策で年十五万貫の節約を実現し戸部員外郎に登用。北京留守同知として奴婢を安易に放免した咎で管州刺史に降格。世宗との対話で「福を求める私心」と厳しく評された。国子祭酒を経て承安二年(1197年)享年八十二で卒去。
- 兄の珫は幼名太平、閤門祗候から海陵の宗室弾圧下で鄉里に斥けられたが、世宗即位時に真っ先に馳せ参じ護衛十人長に取り立てられた。同知宣徽院事などを歴任、定海軍節度使で卒去、享年五十七。