金史卷九十三 列傳第三十一 衞紹王子
概要
- 六子あり、大定二十六年(1186年)名を賜り明安は琚、安春は瑄、阿禅は璪と改名。泰和七年(1207年)阿禅は鄭王永蹈の後嗣とされた。大安元年(1209年)子六人が王に封ぜられ(従恪・胙王・有任王・鞏王・餘・弗)、同年従恪が左丞相、二年(1210年)皇太子となる。至寧末、呼沙呼が衞王を弑した際、兄弟は皆廃され中都に幽閉、貞祐二年(1214年)鄭州、四年(1216年)南京に徙り、天興元年(1232年)崔立の乱で従恪は梁王とされ汴京陥落時に死んだ。
史論
- 章宗晩年に継嗣が立たず衞紹王に意を寄せたが、衞紹王も長く在位できず、諸子は二十余年、鎬厲王の諸子は四十余年幽閉された。長女や独身男子も婚嫁を許されぬ有様であったが、天興初にようやくその禁が緩められた。金の亡ぶ運命はこれで知られよう。