金史卷八十六 列傳第二十四 烏雅扎拉

「鉄簡万戸」の異名を持つ猛将

  • 普霞努の子。数人分の力を兼ねる勇猛さで、正隆六年の契丹瓜里の乱では韓州・信州攻防戦で敵の城攻めを巨木を落として撃退、両手に持つ数十斤の鉄簡(鉄棒)で敵を薙ぎ倒し「鉄簡万戸」と呼ばれた。世宗即位後は驍騎副都指揮使として斡罕討伐に従い、托和・陷泉の戦で功を挙げ、敵の刺客の一撃を鉄簡で撃退した逸話も伝わる。蔡州・宿州防禦使、昌武軍節度使を経て、宋への賀正旦使として淮上で柳樹に矢を深く射通し宋人に威名を轟かせた。鳳翔尹・興中尹・博索路総管を歴任し、高麗人もその威名を畏れたという。二十五年興平軍節度使として卒した。