金史卷八十四 列傳第二十二 髙楨

剛直な監察官

  • 遼陽渤海の人、五世祖模翰は遼の太師。斡魯の高永昌討伐に際し瀋州の母を頼りに帰順し、永昌の偽の降伏の欺瞞を告発、東京留守事同知・明安を授かった。尚書左僕射・判広寧尹・太子太傅を歴任し八年間の広寧治政で清粛な政令を布いた。西京留守・任國公として奚霫軍民の南徙に伴う穆昆布木の反乱を平定期限付きで鎮圧、中京留守として海陵の夜の私的酒宴での近侍馮僧嘉努・李街喜らの禁を犯した違反を杖罰し、権貴を震撼させた。太子太保・行御史大夫・莒王・司空・代王を歴任、監察官として品流の区別・進善退悪を重んじ忌避されたが、正隆例の封爵に「衆小に嫉まれる身、爵位を受けられようか」と固辞するなど忠直を貫いた。病篤くして「某事未決、某事未奏」と嘆きながら六十九歳で薨じ、海陵は深く悼んだ。方厳な性格で家に伎楽を持たず、酷暑でも衣を緩めず、妻子の前でも終日談笑せぬ寡黙な人柄であった。