金史卷八十四 列傳第二十二 温都烏逹

寛簡な治政で名を残す

  • 太師思忠の甥。天会間女直字学生から尚書省令史・右司都事、行台右司郎中を経て同知大興尹として盗賊を沈静化し、刑部・兵部・吏部尚書を歴任した。海陵伐宋では武定軍都総管、世宗即位後は咸平尹・北辺行軍都統・会寧尹として斡罕反乱後の民心不安を寛簡な統治で鎮め、北京留守として廉察された治績を評価され参知政事に至った。四十七歳で病没、世宗は「烏逹・彦忠・鄂博庫・徳斡・固納らはみな忠直であったが、後進で及ぶ者は少ない、そなたたちも忠直な人材を朕に推挙してほしい」と嘆いたという。