金史卷八十二 列傳第二十 耶律恕
海陵にも屈しなかった清廉の臣
- 遼横帳秦王の族。契丹字に通じ、羅索の推挙で宗翰の伐宋に従い和尚原・仙人闗攻略で睿宗に見出され、太原・真定少尹、薩里罕の陝西参謀、行台兵部侍郎・尚書左司郎中を歴任した。海陵に「君も党があるか」と問われ「窮すれば独り身を善くし、達すれば天下を兼ね善くする、道によらず得るのは我が志ではない、何の朋党か」と正色して答えると、海陵は「戯れに言ったまで」とはぐらかしたという。沁南軍節度使・行台工部尚書・興中尹を経て太子少保、正隆元年致仕・廣平郡王、六十九歳で薨じ銀青光禄大夫を追贈された。