金史卷八十一 列傳第十九 趙隇
義理堅い節度使
- 遼陽の人。遼の閤門祗候から太子左衛率、宗望の張覺討伐に際し灤州で城を出て降り、洛苑副使・灤州千戸を経て伐宋にも従軍、商州刺史・信德府路統押軍兵・沿邊安撫使などを歴任した。齊国廃止後は宿州防禦使として本路軍兵を統べ、義を重んじ儒士を厚遇(旧知の子の官銭返済を代わりに肩代わりした逸話)、徐州の帥の不法を鞫問する任では庇いすぎて罷免され燕に寓居したが、海陵の行台巡視の際に訴えて起用され保大軍節度使・中都路都転運使・順義興平(節度使)・太子詹事を歴任、享年六十六で卒した。子孫が家産を蕩尽したことから、世宗は「祖先没後の子孫による居第分割・売却禁止」の令を定めたという。