金史卷七十九 列傳第十七 施宜生
風刺の詩で処刑された文人
- 邵武の人。博聞強記で宋の科挙に及第、汴陥落後は江南に走り罪を得て齊に北走、齊のために対宋策を上書した。齊国廃止後は太常博士・殿中侍御史・尚書吏部員外郎などを歴任、天德二年張浩の推挙で翰林直学士となり太師梁王宗弼の墓銘を撰した。正隆四年(1159年)宋への正旦使として派遣された際、自らが元は宋に仕えたことを恥じつつ、館伴の張燾に故郷への思いを問われ「今日北風甚勁」「筆来筆来」との謎かけで宋側に密かに警告を発したことが発覚し、副使の密告により烹殺された。若い頃、僧に「権骨があり公卿の相だが手が逆さに生える、覆腕にならねば貴を得ない」と占われ、それを信じて義軍に加わったが敗れ変装して逃げ延び、後に科挙に主席で及第するなど、僧の予言通りの生涯を辿ったという逸話が伝わる。