金史卷七十八 列傳第十六 時立愛
平州・西京の帰順を主導した名臣
- 涿州新城の人。父承謙は財を成し飢饉の際に貧民に施しをした人物。遼の科挙に及第、御史中丞として剛正な諫言で権貴に忤い、燕京副留守・遼興軍節度使兼漢軍都統を歴任した。太祖の燕京平定後、平州の帰順を主導し(奚王和勒博の残存勢力に対し民心を慮り)、太祖から「城邑いずれも下り忠款を嘉す」との厚い詔を受けた。遼帝がなお天德に在る中、平州の民心が定まらない状況で「郡邑を巡って徳義を宣諭し、宋への対処も順逆によって撫討すべき」と献策し、太祖から高く評価された。後に平州が張覺に委ねられると立愛は郷里に帰ったが、燕薊が一時宋に帰属した際も宋の招聘に応じず宗族に仕官を禁じた。宗望の再度の燕山攻略に際し幕府に参じ同中書門下平章事、九年侍中知樞密院事、天会十五年(1137年)致仕、開府儀同三司・鄭國公として八十二歳で家に薨じた。