金史卷七十 列傳第八 薩哈
国相として太祖擁立を主導
- 薩哈は景祖の孫、韓國公和卓の長子で世祖の兄の子にあたる。穆宗の代に国相となり、彊梗を鋤除する諸征伐を輔佐、通恩城攻略などで功を挙げた。太祖の伐遼に際しては先んじて勧進した一人であり、収国元年正月太祖即位後も国相のままとどまり、太祖から「今日の成功は諸君の協輔の力」と篤く遇された。天輔後の貝勒授与にも与り、天輔五年(1121年)薨じた。太祖は自ら弔い白馬に乗り哭礼を尽くした。人柄は敦厚で用人に長け、宗臣として内外の重きをなした。天會十五年(1137年)燕國王を追封され、正隆に陳國公へ降封、大定三年(1163年)金源郡王に改贈、太祖廟庭に配饗され忠毅と諡され、十五年(1175年)衍慶宮に図像された。子は宗翰・宗憲(宗翰は別伝)。