金史卷六十六 列傳第四 卞
中都留守として名を上げた官
- 卞は本名を鄂摩といい、上京司属司の人で大定2年に護衛に収充され累功で彰化軍節度副使を授かり、都水監丞、中都西京路提刑使を経て歸徳府知事、河平軍節度使となった。王汝嘉が卞の都水監での治水の功を上奏したことで北京留守に除せられ、間もなく知大興府事に改められた。尚書左丞瓜爾佳衡が軍中で不法を働いた疑いで刑部が問状した際、卞が勝手にこれを追捕したため上は失礼として杖40としたが、致仕を望むも許されず御史大夫を拝した。左司諫持嘉克們が「御史大夫が久しく欠員で憲紀が振るわない、剛正で疾悪の人を選ぶべきだ」と上言したことで卞が起用されたという。かつて尚書孫鐸・賈鉉がともに尚書であった際、鉉は参知政事に拝され鐸は再任され、対賀客の場で鐸が唐の張在の詩を誦して鬱々たる意を示したのを卞が劾奏し、鐸は降黜された。後に致仕を再び願い金吾衛上将軍として致仕、薨じた。