金史卷六十六 列傳第四 達蘭

珠赫店の勇将

  • 特進達蘭は宗室の子で16歳より太祖の側を離れず仕えた。珠赫店の役で太祖が親戦しようとした際、達蘭は馬を控えて「主君がなぜ自ら軽々しく敵に当たるのか、臣が力を尽くします」と槍を執って7人を斬り、槍が折れると騎士9人を馬から引きずり落とした。太祖はこれを壮とし「このような者が数十人いれば万衆にも当たれる」と称えた。達嚕噶城の戦いでは遼兵千の陣を破り、臨潢府・春泰州・中西二京攻めに功があり、天輔6年に穆昆を授かった。天会4年、宋討伐に従い功を重ね、翌年再び汴に至り、宗望の命で阿里庫とともに睢陽で宋の援軍を迎撃しその前鋒3万を杞縣で破り、3寨を破って宋の京東路都総管胡直孺・南路都統制隋師元及びその三将、胡直孺の二子を捕らえ、拱州を取り寧陵を降し、睢陽で2万を再び破り亳州を攻略、宋兵10万来襲の報に宗望が4千を増援すると合撃してこれを大破、擒えた石瑱とともに凱旋し帥府に厚く賞された。
  • 睿宗が熙州に駐兵した際、達蘭は軍500で六盤山十六寨に入りその官80余・民戸4千を降し馬2千匹を獲た。皇統中に銀青光禄大夫、天徳初めに特進、世襲明安を授かり65歳で卒した。海陵が諸陵を大房山に遷した際、太祖に長く仕えた達蘭の石像を睿陵前に置くよう命じた。