高永昌に抗した哈斯罕の族長
- 始祖の兄弟3人の後、博和哩の後裔である実図美・都古嚕訥には別に伝がある。呼實黙は哈斯罕の人で父の托卜嘉は遼に事えて太尉となった。呼實黙は漢語を善くし契丹大小字にも通じ勇猛で戦を善くした。高永昌が東京に拠り哈斯罕の人々が畏れて帰属しようとした際、呼實黙は従わず、一族に「我らの遠祖兄弟三人は同じく高麗より出た。今の大聖皇帝(太祖)の祖は女直に入り、我が祖は高麗に留まった後、遼に帰した。我と皇帝はいずれも三祖の後裔であり、皇帝が受命し帝位に即いた今、遼の敗亡は明らかだ、私は永昌の臣にはなれない」と説き、族属・部衆を率いて薩哈烏珍に降り托輝山の下に営した。
- 高永昌が攻めた際、呼實黙は力戦しきれず薩哈のもとへ逃れ、開州攻めでは糧餉を供給し、保州攻めでは遼の舟師を退けた将を捕らえ多くの恩賞を受け、哈斯罕七部の貝勒とされ銀牌一・木牌三を給された。天輔2年に卒し監門衛上将軍、後に驃騎衛上将軍を追贈された。子の果実は顕州攻めで四穆昆軍を率い魚梁務を破る最大の功を挙げ、父の統べた十部を継いで哈斯罕の達貝勒となった。和卓という者も始祖の兄の苗裔と称するが呼實黙との関係は不明という。