金史卷六十五 列傳第三 滿丕

穆昆の武功

  • 満丕は天会15年に王に封じられ、正隆の例により虞国公に改封された。長子の満都布は孝友恭謹で謀略に富み善戦し、15歳で軍に属して鄂勒歓攻めに従い、遼籍の女直和碩台らの変では自ら人質となって和碩台に従い、中途で計を用いて守者を殺して帰還した。寧江州攻め・黄龍府攻略・高永昌撃破・春泰州占領いずれも功があり、多くの恩賞を受けて穆昆となった。嶺東の未服州郡を討ち、土河の東で賊3千を破り、奚・契丹が土河西を寇した際は明安・䝉克瑪竒とともにこれを撃ち、9万の衆を撃破、奚の衆1万余がアリン甸に拠るのを再び撃破しその周辺の居民を降した。さらに騎兵500で遼兵1千を破りその将を生擒し、棟摩とともに興中府を攻めた際に流矢に当たり37歳で卒した。天眷中、金紫光禄大夫を追贈され、諡は英毅。
  • 們圖琿はしばしば征伐に従い、天会2年に阿斯罕貝勒として国政に参議したが翌年薨じた。天会15年の大封で王を追封され、正隆の例により鄭国公に改封、明昌5年に定済と諡された。
  • 們都は父満丕の明安を襲い、卒すると子の素赫が襲い、素赫の卒後は子の薩哈連が襲い、その卒後は子の惟鎔が襲いだ。惟鎔は本名黙哷、字は子鑄、力量に富み人望があった。貞祐初年に楊文闕を守って功があり都統・護漕運を兼ね、貞祐2年には金牌を佩びて親軍の家属を護り汴に遷らせ、同知祁州軍州事に遙授、提控を兼ねた。貞祐3年には紅襖賊を大沬堌で破り、劉二祖を生擒する最大の功を挙げ、泰安軍節度副使に遷り、遂王府尉・都水少監・東平府治中を歴任したが、誤って同知府事赫舎哩約赫徳を刃で傷つけた罪で降格されそうになったところ、なお従軍して花帽賊討伐に功があり、行省の䝉古綱の上奏で前職に復し、邳州経畧使に遷って卒した。子の従傑は明安を襲い、累功により鎮南軍節度副使に遙授された。

世祖の子女

  • 世祖の翼簡皇后は康宗を生み、次いで太祖、次いで魏王威泰、次いで太宗、次いで遼王舎音を生んだ。次室の図克坦氏は衛王烏色を、魯王烏哲を、次室の布薩氏は漢王阿庫納を、次室の珠格氏は魯王棟摩を、次室の珠格氏(別人)は沂王扎拉を、次室の烏庫哩氏は鄆王昻を生んだ。