昭祖の救出者
- 昭祖が法制を定めようとした際、諸父・国人がこれを喜ばず、既に昭祖を捕らえて殺そうとしたが、錫里庫が急いで弓矢を取り群衆に向けて射たため、衆は散り昭祖は難を免れた。
- 国俗では、人が殺された場合には巫覡に呪詛の儀礼を行わせる習わしがあり、刃を杖の先に付け、家族とともにその家へ行って歌いながら呪う。その後、刃で地を尽く払い畜産・財物を奪って帰る。一度呪詛を受けた家は必ず家運が傾いた。
- 後に拉林水の烏蘇展部が完顔部の人を殺した際、昭祖はその慣習に則って烏蘇展部を討ち大いに得るところがあったが、これを諸父・昆弟に頒ったのみで錫里庫には及ばなかった。錫里庫は「先日私の力で汝を死から免れさせ、烏蘇展部を討つ計も私が立てたのに、分配が私に及ばないのはなぜか」と抗議した。昭祖はそこで早朝みずから金の腰佩(列鞢)を持って錫里庫のもとへ贈りに行き、まだ寝ていた錫里庫の寝衣を撫でて名乗った。錫里庫は当初この宝を私すべきでないと辞退の言を発したが、実は不安であったところをこの厚遇を受けて大いに喜んだという。
献祖・昭祖の子女
- 献祖の恭靖皇后は昭祖を生み、次いで巴図、次いで阿布哈、次いで図庫、次いで都古嚕訥、次いで薩里罕、次いで薩克蘇を生んだ。
- 昭祖の威順皇后は景祖を生み、次室の達呼黙(烏蘇展部の人)は伯赫・伯勒赫・斡里延を生み、次室の高麗人は和碩台を生んだ。