金史卷六十三 列傳第一 太祖崇妃蕭氏
太祖崇妃蕭氏
- 熙宗の時、貴妃に封じられた。天徳2年(1150)正月、元妃に封じられ、同月太妃に尊封された。海陵の母大氏は蕭氏によく仕えた。海陵が簒立すると大氏を皇太后に尊び永寧宮に居らせた。宴集のたびに太妃(蕭氏)が上座に坐し大氏が婦礼を執ったので、海陵は積もり積もって不満に思っていた。宗義らを殺した際に太妃に隠悪の誣告を加えて殺し、あわせて太妃の生んだ子の任王威赫も殺した。
- 大定19年(1179)、改葬の詔を出し大宗正丞宗安に監護葬事させ使者を遣わして致祭した。上は太妃の旧号を復そうとし禮官に議させたところ、前代の太妃を称する者はいずれも子の貴によるものであり、古は入って后と称し夫に繋げれば朝で太と称し子に繋げるが、今の蕭妃の事はこれと異なり太を称するのは無理があるとして、妃号のみ追封すべきとされ、詔で従い崇妃に封じた。