金史卷五十九 表第一 宗室表

表の凡例

  • 古代の太史は邦国の世次を掌り、姓氏を弁じ昭穆を別つことを重んじた。金人が興った当初、完顔十二部があり、後にみな部を氏としたため、史臣の記録には「宗室」と称する者、「完顔」と称する者があった。「完顔」と称する者にも二種あり、同姓の完顔(実図美・都古嚕訥のような疎族)と、異姓の完顔(罕都のような部人)とがあった。
  • 大定以前は「宗室」と称し、明昌以後は睿宗の諱を避けて「内族」と称したが、実質は一つで、名だけを書き氏を書かない制であった。宣宗は宗室にみな「完顔」と称するよう詔し、以後は識別されなくなった。
  • 大定・泰和の間、袒免以上の親はみな属籍を持って官を叙授され、大功以上の薨卒には朝を輟め、親親の道が行われた。貞祐以後は譜牒が散失し、おおむね僅かに存するのみで悉くを窮めることはできない。今、次第の付けられるものを掇って篇に著すが、上に係る所なく下に承ける所のない者はすべてを録することができない。

各世代の系譜注記

  • 始祖の子と徳帝で合わせて2人。
  • 徳帝の子と安帝で合わせて2人。
  • 安帝の子と献祖で合わせて5人。博勒和は安帝の五代の孫と称するが誰の子かを称さないため、世に従って置くことができず巻末に置く。
  • 献祖の子と昭祖で合わせて7人。
  • 昭祖の子と景祖で合わせて6人。実古納は昭祖の曾孫、崇成は昭祖の玄孫と称するが誰の子かを称さないため、世に従って置くことができず巻末に置く。
  • 景祖の子と世祖・粛宗・穆宗で合わせて9人。伊克・阿里布は景祖より出たと称するが誰の子かを称さないため、世に従って置くことができず巻末に置く。
  • 世祖の子と康宗・太祖・太宗で合わせて11人。
  • 穆宗の子は5人。哈布爾は穆宗の孫と称するが誰の子かを称さないため、世に従って置くことができず巻末に置く。
  • 諸宗室のうち譜に載せられる者は合わせて11族。某帝より出たと称しても世次を定められない者は、各帝の下に系譜として載せず、慎重を期したものである。