金史卷五十三 志第三十四 選舉三 右職吏員雑選

省・枢密院・御史台等の令史・訳史

  • 右職の省令史・訳史は皇統8年格で初考一重遷り、女直人は本法により他は進義を越え30ヶ月ごとに二重遷り120ヶ月で出職、正六品以下正七品以上の職官を除した。正隆2年、50ヶ月一重遷(初考女直人は敦武校尉、他は保義校尉)150ヶ月出職、正班で従七品とし、密院・台・六部から転省した者は既済の考月を通算して出職とした。大定2年、再び30ヶ月一官遷・120ヶ月出職とし正従七品を除し、院台六部及び他府司から転省し考に及ばぬ者は3ヶ月を2ヶ月に折算し、一考は従七品、両考は正七品、三考は六品とした。3年、75ヶ月出職の者は初任上令、二中令、三下令、四五録事、六下令、七中令、八上令、150ヶ月出職の者は初任刺同運判推官等、二三中令、四上令として省に呈す格を定めた。大定27年制では、一考及び不成考の者は従七品を除し県令三任(第五任で正七品)を要し、両考以上は正七品を除し再任は県令に降し三四任で正七品、第五任で六品、三考以上は六品を除し再任は正七品に降し三四任で六品、第五任で従五品とした。
  • 省の女直訳史は大定28年制で現任従七従八の者から60歳以上を選任し、明昌年間は現役の契丹訳史のうち女直契丹字に熟達した者、いなければ旧省契丹訳史出職官及び国史院女直書写で現任七八九品官の者を充てた。
  • 省通事は大定20年格で30ヶ月一重遷、120ヶ月出職、一考両考は八品、三考は従七品とし他は部令訳史と同様に差を免じた。
  • 御史台令史・訳史は皇統8年に120ヶ月出職、正隆2年格で150ヶ月出職いずれも九品で正班、大定2年に120ヶ月出職・30ヶ月一官遷とし、出職は一考両考が九品、三考は八品とした。明昌3年、現役吏人を截罷し三品職事官子弟の試中者及び終場挙人で本台試補者を用い、不足すれば密院・六部の現役品官・契丹品官の子孫兄弟を選充することとした。承安3年勅では、補充は必ず衆議を経る建前だが弊が生じやすく本台出身門戸に偏るのを避けるため、本台班内祗令訳史の名闕以外は試中の枢密院令訳史の名次順に取用し、不足すれば随部班祗令訳史の上名から転用、終場挙人を用いる場合は三次終場挙人を書史人と同じ試験で榜次順に用いることとし、内訳は女直13人(班内祗6人・終場挙人7人)、漢人15人(班内祗7人・終場挙人8人)、訳史4人(班内祗2人・終場挙人2人)とした。
  • 枢密院令史・訳史は正隆2年制で遷考は省と同じ、出職は正班正従八品。大定21年、元帥府令訳史は30ヶ月一官・120ヶ月出職、一考両考は八品、三考は従七品とした。14年、班内祗と三品職事官承蔭人は四五品班祗及び吏員人と通試し中選者を用いることとした。16年格では一考両考は初任録事軍判防判、再任上簿、三任中簿、四任は同前(後略の細部あり)、五六下令、七八中令、九十上令(26年に両考者は下令一任を免除)とし、三考以上は初任上令、二中令、三下令、四録事軍防判(26年免除)、五下令(26年免除)、六七中令、八上令とした。17年、緦麻袒免以上宗室郎君の試補、三品職事子弟4人・吏員2人という定制、睦親府・宗正府・統軍司の令訳史遷考出職も台部と同様とした。
  • 六部令史・訳史は皇統8年格で初考30ヶ月一重遷(女直人は本格、他は進義を越え)、第二第三考各一重、第四考二重で120ヶ月で八品以下を出職。正隆2年、省の右職令史と同様に遷考し九品を出職。大定21年、宗正府・六部・台・統軍司の令史、蕃部訳史、元帥府通事はいずれも30ヶ月一重・120ヶ月出職、係班で一考両考は九品、三考以上は八品を除した。14年、三品から七品官の承蔭子孫を一律試充する制はのちに不当とされ四五品子孫及び吏員試中者のみ旧例に従い補充し六品以下は含めないこととした。15年、差使を免除。16年格では一考両考は初任上簿、再任中簿、三下簿、四上簿、五録事軍防判、六七下令、八九中令、十上令、三考以上は初任録事軍防判、再任上簿、三中簿、四同初、五下令(後免除)、六七下令、八中令、九上令とした。
  • 按察司書吏は終場挙人から選補し、遷加出職は台部と同じ。

内外諸吏員の制

  • 正隆2年、知事・孔目の出身・俸給を定め、都目はすべて朝差とした。海陵は初め尚書省・枢密院・御史台の吏員以外はすべて雑班とし、諸吏員を昌明殿に召し、「班次がやや降っても人材あれば不次に抜擢する」と諭した。少府監の吏員は内省司の旧吏員及び外路試中の司吏で補充する制も定めた。大定2年、戸部郎中曹望之は諸処の胥吏の過多を訴え半減を請うたが、詔は胥吏の旧例維持のみ命じ貼書の使用を禁じた。また県吏の欠員は行状の修まった郷里の重んじる者を推挙で充てることとした。3年、外路司吏が久しく昇転せず豪右と結び奸をなす弊があるため、孔目官と共に30ヶ月ごとに他所へ移すこと、7年、隨朝司属の吏員・通事・訳史が雑班で勾当した月日は到部者は通算しないこと、贓罪で罷免された吏人は特旨なく赦にあっても復叙を許さないこと、京府州県及び転運司の胥吏数は戸口と課の多寡に応じ増減することを命じた。12年、外路司吏は名次上下のみで評価されるため人材を得ていないおそれがあり、下位に亷慎で吏事に熟達した者があれば所属に保挙させ試験不合格でも隨朝の近下局分に承応させ再試を待たせるべきとの上論があった。
  • 章宗大定29年、上封事者が州府吏人の隨朝吏員試補を否定し五品以上子孫の試補を求めたが、尚書省は吏人試補の法が久しく行われており承蔭人のみでは案牘に通じず失敗を招く恐れがあるとして、散官五品で職七品の者や職事五品の者の兄弟子孫で既に承蔭した者に投試を許す一方、六部令史内の吏人試補は旧のままとする折衷案を定めた。泰和4年、僉河東按察司事張行信は移転法廃止後に吏勢が重くなり豪奪が横行し朝差の都目もないため上名吏人が六案文字を兼管して賄賂を分け合い30年出職まで一所に居座る弊を訴え、30月移転・年満出職の旧制復活を命じた。8年、僉東京按察司事楊雲翼の言により書史は本路人を用いず別路の書吏を特薦・試験の上補用することとした。
  • 右職官は天徳制で忠武以下は差使を、昭信以上は「両除一差」とした。大定12年、鎮国以上は即座に省除、13年制で明威は下令、宣威は中令、広威は上令に注し、信武は権注下令、宣武・顕武は差を免じ丞簿に権注、功酬者は上簿に準じ虧のない者は中簿に準じた。26年、宣武・顕武に至って初めて出職を許し、旧制の五任県令呈省を四任に減じた。明昌3年、諸司除授の守闕近30ヶ月による選調の窒礙を理由に「両除一差」に戻す条件付き制を定め、泰和元年、県令の見闕が近14ヶ月・遠16ヶ月に及ぶ状況に対し、明威に至った者と虧永・犯選者が同じ扱いになる不均衡を是正し、虧永・犯選者は女直人は広威、漢人は宣武に至るまで県令注を延期する制、また丞簿の守闕も近19ヶ月・遠21ヶ月であることから、宣武・顕武・信武に至れば丞簿注とし、虧永者は明威に至って初めて丞簿注とする制を定めた。吏格の細部では、正雑班(無資歴者は班内祗と同じ扱い)は官資に応じ、忠武以下は監当差使、昭信以上は諸司除授(両除一差)、宣武以上は中簿(功酬人は上簿)、明威は下令、宣威は中令、広威は上令とし、県令四任を歴任し定逺で既に県令三任の者は呈省、虧永・犯選格の者(公罪追官・私罪解任・贓汚亷訪不良・体察不堪臨民の類を犯選格という)は女直人は武義、漢人・諸色人は武略に遷って初めて諸司除授(両除一差)、明威に至って丞簿注、女直人が広威、漢人・諸色人が宣威に遷った者は下令二任・中令一任の後に呈省とした。貞祐3年制では宣武に遷った者はみな諸司除授(両除一差)とし、犯選格でない者は懐逺で丞簿注、安逺で下令上令各一任を経て呈省、4年には懐逺で下令、定逺で中令、安逺で上令、四任で呈省とする改定を加えた。
  • 検法知法は正隆2年に六部所用人数と差取格法を定め、初考両考は司候、三考は上簿とし、大定5年制で10年以内は初考下簿・両考中簿・三考警判、10年以外は第二任司候・両考上簿・三考市丞とした。大定2年制では三考の者は10年の内外を問わず八品を除し、録事市令はその本門戸の除授に依った。旧は劄付を授けていたが大定3年から律科人を勅で任じることとし、7年に榜次による勾取制(省令史と同様)、26年に三考で録事を除した後は両除一差とした。
  • 女直知法検法は大定3年格で台部統軍司出職の令訳史で県佐・市令差使を歴任した奏差の考満者は元出身より一等陞し隨路知事例により勅を給し30ヶ月を一任とした。明昌5年、省統軍司の令訳史書史内で50歳以下・無過失・慎行の者を1ヶ月試験し能ある者を充て、再度勒留された者は一等陞る制、一考は初任上令、二三中令、四上令、両考は二等陞り呈省とした。

太常寺・宮中諸局分の吏員

  • 太常寺検討2人は正隆2年に50ヶ月一重遷(女直は敦武、他は進義)150ヶ月出職で雑班、大定2年制で30ヶ月一重遷・120ヶ月出職で正班九品とした。
  • 省祗候郎君は大定3年制で袒免以上親の願承応者や一品官子で既に引見済みの止在班祗候を対象とし、30ヶ月循遷、初任正従七品、次任呈省。内祗在班は初次任正従八品、三四任従七品の後呈省。班祗在班は初任九品、三四従八品、四五従七品の後呈省。以上三等は60ヶ月満で各一重遷とした。8年制では、先に60ヶ月役し才幹を試験、不能なら一官進めて黜け、才幹あれば再び60ヶ月理算する制とし、毎30ヶ月遷加、120ヶ月満で女直字に通じる者を要した。16年、制文を試し制意を解説できる者を中選とする制、18年、一品官子は初任都軍・二録事軍防判・三都軍・四下令・五六上令の後呈省、内祗は初録事軍防判・二上簿・三同初・四録事・五都軍・六下令・七中令・八上令の後呈省、班祗は初上簿・二中簿・三同初・四録事軍防判・五録事・六都軍・七下令・八中令・九上令の後呈省と定めた。
  • 国史院書写は正隆元年制で、女直書写は契丹字を女直字に訳す試験(300字以上)、契丹書写は契丹大小字に熟練、漢字書史は契丹字への300字以上の翻訳及び詩一首(五言七言四韻、契丹字出題)、漢人は論一道を試し、遷考出職は太常検討に同じとした。
  • 宗室将軍は60ヶ月を一任とし、初任刺同、二都軍、三刺同、四従六品の副将軍(七品出職人が充てる)とした。明昌元年、90ヶ月満に改め、中都上京は初任従七品、二録事軍防判、三に本門戸に入り、他路は初任録事軍防判、二上簿、三に本門戸に入るとし、承安2年に司属令を隨朝に改めた。
  • 内侍御直・内直64人は正隆2年格で長行者は50ヶ月一重遷(女直は敦武、他は進義)で出身なし、大定2年格も同様、6年に内侍収補格を改定し、一大経及び論語孟子並びに一書を誦し能書な者は月俸八貫石、やや識字して書ける者は七貫石、不識字は六貫石とした。泰和2年、外官を参用することの微妙な問題を避けるため寄禄官名を新設し専任とした。
  • 宮中諸局分は大定元年、世宗が承応人の班叙俸給が過濫(正隆時は逆に無出身で過刻)で官品が労逸に応じないことを改めさせ、6年には年満で差使を待つ者が久しく滞る一方、文字に通じず用いられぬ者が多い実態を諭し、出局希望者は認め、留任希望者は秩を増して旧に依り承応させ、十人長も老いても留任希望なら秩を増し長行承応とし、余は放還する制とした。7年、女直人は太医・司天・内侍以外の局分にも収充させることを詔した。
  • 護衛は正隆2年格で30ヶ月一重遷(初考女直は敦武、他は保義)150ヶ月出職で従五品以下従六品以上を除し、大定2年格で初遷忠勇・120ヶ月出職に改め、14年官制で下から二重加わり女直初遷修武、他は敦武とした。18年制では初任五品者は次に六品に降り第三任で再び従五品、初任六品者は降らず第四任で従五品を授かり、再勒留者は各一官遷るとした。明昌元年資格では初任は資歴を算入せず、勒留されない者は初任従六品、二三同上、四任従五品、勒留者は初任従五品、二三同上、四正五品、再勒留は初正五品、二同上、三少尹、四刺史とし、明昌4年に六品七品に降格された。貞祐制では一考八品、両考は県令、三考正七品、四考六品とし、5年定制では一考は上令、両考は正七品一任、回降従七品、両任正七品で回陞六品、三考は正七品一任回、再任正七品で正六品陞、四考は六品一任で従五品に陞るとした。
  • 符宝郎12人は正隆2年格で護衛と同様に出職し従七品を除した。大定2年格も護衛と同じ、14年に新規収用者は進義に遷る扱いとし、21年に英俊な者は六品、常人は七品を除した。
  • 奉御16人(内は駙馬が充て、旧名「入寝殿実逹爾」を大定12年に改称)は正隆2年格で符宝郎と同様、大定2年出職で従七品とした。
  • 奉職30人(旧名「不入寝殿実逹爾」また「外帳実逹爾」、大定12年改称)は正隆2年格で女直は敦武、他は進義に遷り出身なし、大定2年格で正班九品出職、14年官制で下から二重加わり女直初考進義、他は進義副尉とし、17年格では蔭ある者は初中簿・二下簿、蔭なき者は県尉に注しその後は格に依った。明昌元年格では蔭ある者は勒留一考ごとに一資減じ、2年に八品出職とし、6年定格で初録事軍防判正従八品丞、二上簿、三中簿、四正従八品(犯選格でなければ免除)、五下令、六七中令、八上令とし、勒留一考は下令に陞り四五中令、六上令の後呈省、勒留両考は上令に陞り二中令、三四上令の後呈省とした。奉御・奉職の出職月数は大定12年に150ヶ月に増え、29年に旧に戻り、承安4年に再び増加した。
  • 東宮護衛は正隆2年出職で正班従八品、大定2年正従七品とし、初収の女直は敦武、他は保義とした。
  • 閤門祗候は正隆2年格で女直初遷敦武、他は保義で出職正班従八品、大定2年格で従七品出職、8年定格では初任都軍、二録事、三軍防判、四都軍、五下令、六中令、七上令(既に明威を帯びる者は下令から)とし、泰和4年格では初任都軍、二録事軍防判、三下令、四中令、五上令とした。
  • 筆硯承奉(旧名筆硯令史、大定3年に筆硯供奉、後に睿宗の諱を避け今名に改称)は正隆2年で女直は敦武、他は進義で出身なし、大定2年格で初考女直は敦武、他は保義で出職正班従七品、吏格は初任都軍、二三下令、四五中令、六上令とした。
  • 妃護衛は正隆2年格で奉職と同様、大定2年出職で八品。
  • 符宝典書4人(旧名牌印令史、皇家袒免以上親・外戚有服・功臣子孫が充てる)は正隆2年出職九品、大定28年八品、二任上簿で呈省し官資を検して注授した。
  • 尚衣承奉は天徳2年格で班内祗人から選充、大定3年で女直は敦武、他は進義に遷り出職九品。
  • 扎布書画10人は正隆2年格で奉職と同様、大定2年出職九品、14年格も奉職と同じ、21年定格では蔭ある者は初中簿、二軍器庫副、以後は本門戸に依り差注、蔭なき者は差使を与えた。
  • 以上諸局分承応人は正隆2年格で有出身者は50ヶ月を一考とし五考出職、無出身者は50ヶ月で一官遷るのみとした。大定2・3年格ではいずれも30ヶ月一考四考出職に改め、12年に五考に増やし、29年に再び四考、承安4年に再び五考とした(大定12年増考は護衛には適用されなかった)。
  • 随局内蔵四庫の巴哩巴28人は正隆2年格で奉職と同様、大定2年格で十人長は30ヶ月一重・四考出職九品、長行は50ヶ月一重(初考女直は敦武、他は進義)で十人長に転じた者はその後親軍例により五十人長に転じ30ヶ月遷加、十人長に至らずとも敦武に遷れば本門戸に依り出職とした。12年に五考に増やし、21年格は扎布書画と同じ、28年、合数監同人内から下から選差し、明昌初め八貫石の巴哩巴闕は六貫石局内から選び、六年半経れば随局承応人から選ぶこととした。
  • 左右蔵庫の巴哩巴8人は内蔵と同格、大定29年設置で30ヶ月一重・120ヶ月出職。
  • 儀鸞局巴哩巴は大定27年に3人設置、明昌初めに15人に増員、格は内蔵巴哩巴に準じた。
  • 尚食局巴哩巴4人は大定28年設置、格は儀鸞に同じ。尚輦局巴哩巴6人も28年設置、格は儀鸞に同じ。
  • 典客署書表18人は大定12年、班内祗及び終場挙人で慎行の者から三国の奉使接送の礼儀・往復書表を試し、格は国史院書写と同じとした。14年に女直人で識漢字の班内祗も同様に試補、24年に終場挙人出職は八品を除し上簿・下簿を経て三任目から本門戸に依るとし、明昌5年に終場挙人で材質端偉・言語弁捷な者は内班祗と同じ試験を受けさせ正九品を除すこととした。
  • 捧案8人は大定19年、既に三品官の蔭を承けた者から宣徽院が容姿の整った者を試験して選び、格は尚衣承奉に同じ、21年格は扎布書画に同じとした。擎執儤使は大定4年に内職・承奉班から選び、明昌6年、皇家袒免以上親が不足すれば外戚及び三品以上散官・五品以上職事官の蔭に応ずる子孫弟兄姪から宣徽院が徳と容貌に優れる者を選ぶこととした。
  • 奉輦(旧名拽輦児、大定29年改称)は格が擎執に同じ。
  • 妃奉事(旧名不入寝殿実逹爾、大定11年に妃奉職と改称、18年に今名に改称)は格が扎布書画に同じ。
  • 東宮妃護衛10人は大定13年格で親王府祗候郎君と同じ、28年に蔭ある者は副巡検・譏察、蔭なき者は司軍・軍轄等を除した。
  • 東宮入殿実逹爾は30ヶ月一重遷、初考女直は敦武、他は保義とし、吏格では蔭の有無を問わず出職は初任八品、二上簿、三中簿、四八品、五下令、六中令、八上令の後呈省とした。
  • 東宮筆硯は50ヶ月一重遷、150ヶ月出職で正班九品、蔭なき者は差使、蔭ある者は21年格の扎布書画に同じ。
  • 正班局分には尚薬・果子巴哩巴・奉膳・奉飲・司裀・儀鸞・武庫巴哩巴・掌器・掌輦・習騎・羣子都管・生料庫巴哩巴があり、大定21年格で蔭ある者は扎布書画格に同じ、29年に諸局分長行はすべて300ヶ月、十人長は90ヶ月で出職とした。
  • 雑班局分には鷹坊子・尚食局厨子・果子厨子・食庫巴哩巴・儀鸞典幄・武庫槍寨・司獣・銭帛庫官・旗鼓笛角唱曲子人・弩手・傘子があり、貞元元年制で弩手・傘子・尚廏局実逹爾・尚食局厨子は府州作院都監を授けた。大定29年、長行300ヶ月・十人長90ヶ月出職、弩手・傘子は400ヶ月出職とした。その他の局分(秘書監楷書及び琴碁書阮象説話待詔、尚廏局医獣・駝馬牛羊羣子・酪人)はいずれも出身なしとした。

侍衛親軍

  • 侍衛親軍長行は初収一重遷(女直は敦武、他は進義)50ヶ月ごとに一重遷り、次第に五十人長に転じれば30ヶ月ごとに一重遷、五十人長のうち武義に遷った者は五十人長本門戸で出職。五十人長は30ヶ月一重・60ヶ月出職で正班九品を除し、蔭ある者は八品を除した。百人長に転じた者は30ヶ月一重・60ヶ月出職で正班八品、蔭ある者は七品とした。大定6年、百戸で任満・蔭ある者は七品都軍正将、蔭なき者及び五十戸で蔭ある者は八品刺郡都巡検副将、五十戸で蔭なき者及び長行で蔭ある者は県尉、蔭なき者は散巡検に注した。16年、蔭ある百戸は初任中令、二都軍正将、三四録事、五下令、六中令、七上令の後呈省、蔭なき者は初任都軍正将、二録事、三四副将巡検、五都軍正将、六下令、七中令、八上令の後呈省(これは識字者の場合)とし、不識字者は初任県尉、次に主簿とした。31年、蔭ある者は初任中簿、二県尉、蔭なき者は初任県尉、二散巡検とし、以後は本門戸に依った(識字・不識字を問わず差注)。29年、女直人は250ヶ月出職、他は300ヶ月出職と定め、吏格では親民に堪えるか否かをまず察し、既に一任を経て明威・懐逺を帯びる者は資歴を検して擬注した。
  • 拱衛直(正隆時の名は龍翔軍、大定2年に龍翔軍を拱衛司に改組し定格)は軍使・什将・長行いずれも50ヶ月一重遷(女直は敦武、他は進義)、指揮使に遷れば30ヶ月一重・出職で正班・諸司都監とし、指揮使に至らずとも武義に遷れば出職は雑班・差使とした。

司天・太医・教坊

  • 司天長行は正隆2年定で50ヶ月一重遷(女直は敦武、他は進義)出身なし。
  • 太医は格が貞元元年に一度60余人を罷免、正隆2年格で50ヶ月一重遷(女直は敦武、他は進義)出身なし。
  • 教坊は正隆間に城牧の民官を兼ねる者もいたが大定間に罷め、以後は格を上と同じくした。