金史卷二十八 志第九 礼一(郊)

礼志の趣旨

  • 金人が汴に入った時、宋は承平の日が久しく典章礼楽は粲然として備わっていた。金人は既にその図籍を悉く収め、その車輅・法物・儀仗を載せて北したが、この時方に軍旅の事にあり未だ講ずる暇がなかった。まもなく会寧に即き宗社を建てたが庶事は草創であった。皇統間、熙宗が析津を巡幸し初めて金輅に乗り儀衛を導き鼓吹を陳ね、その観聴は赫然として一新し、宗社朝会の礼もまた次第に挙行されるようになった。継いで海陵の狼顧(野心)が江南を併呑しようと欲するに及び、乃ち官に汴の故宮を修めさせ宗廟社稷を繕わせ悉く宋の故礼器を載せて還らせたが、外は武を黷し内は欲を縦にし、その猷(はかりごと)が既に失われたのだから、どうして礼楽を議することを敢えてしよう。世宗が既に興復すると嚮に遷した宋の故礼器を収めて旋らせ、乃ち官に命じ唐宋の故典を参校させ沿革を開いて詳定所を設け礼を議し詳校を設け楽を審らかにし、宰相の学術に通じた者に一事の宜適・一物の節文を統べさせ、既に上聞してから彙め次でさせ明昌初に至って書が成った。凡そ四百余巻、名づけて「金纂修雑録」という。凡そ事物の名数は支分派引し珠貫棊布して井然と序があり炳然として丹のようであった。また吉凶二儀の鹵簿十三節を図し大葬に備え小鹵簿九節を郊廟に備え、尚書左右司・春官・兵曹・太常寺に各々一本を掌らせた、その意は至って深遠であった。この時、宇内は阜安し民物は小康であり、幾百年を維持したのは実にこれをもって基となしたのであろう。ああ、礼が国を為すこと、まことである。ましてや関雎麟趾の化、その流風遺思が後世に被る所はどのようであろうか。宣宗が南に播ってから疆宇は日に蹙まり、旭日がまさに升る中に爝火が燃えるようなもので、蔡に流されて東しなかったばかりか余燼も滅した。図籍は散逸し既に尋ねられなくなり、その宰相韓企先らが論列した礼官張瑋とその子行簡が私著した自公紀もまたその伝を亡った。ゆえに書の存するものはわずかに集礼若干巻のみ、その史館に蔵する所もまた残欠して完たならない。姑くその郊社・宗廟・諸神祀・朝覲・会同等の儀を掇りて書となす。凶礼のごときは略す。おおよそ熙宗・海陵・衛紹王が継いで弑せられて以来、鹵簿十三節をもって大葬に備えると言っても、それが行われたか否かはおおよそ考えることができない、ゆえに宣孝の喪礼は存すると言っても復たこれを紀さない。ああ、告朔餼羊は孔子も去らなかったところであるが、史の欠文もまた慎むべきものである。禮志を作る。

南北郊

  • 金の郊祀は本来その俗に拝天の礼があったことに基づく。その後、太宗が即位すると乃ち天地に告祀した、おおよそ位を設けて祭ったのである。天徳以後、始めて南北郊の制ができ、大定・明昌にその礼が漸く備わった。
  • 南郊壇は豊宜門外、闕の巳地に当たる所にあり、円壇三成、成ごとに十二陛、各々辰位に按る。壝墻は三匝、四面各々三門、斎宮は東北にあり、厨庫は南壇壝にある。皆赤土でこれを圬(ぬ)る。北郊方丘は通玄門外、闕の亥地に当たる所にあり、方壇三成、成は子午卯酉の四正の陛を為す。方壝三周、四面もまた三門。朝日壇は大明といい、施仁門外の東南、闕の卯地に当たる所にあり、門壝の制は皆方丘と同じ。夕月壇は夜明といい、彰義門外の西北、闕の酉地に当たる所にあり、地を掘って汙め壇とする。その中で常に冬至の日に昊天上帝・皇地祗を圜丘で合祀し、夏至の日に皇地祗を方丘で祭り、春分に東郊で朝日し、秋分に西郊で夕月する。
  • 大定十一年(1171年)、初めて郊祀し、宰臣に配饗の礼を議させた。左丞石琚が奏し「按ずるに礼記に『万物は天に本づき人は祖に本づく』とあります、これが祖を配して上帝とする所以です。おおよそこれを配するのは神を侑(すす)め主を作るためです、外より至る者は主なくば止まらないので、ゆえに祖考を推して天に配し、これを尊ぶのです。両漢魏晋以来、皆一祖をもって配しました、唐の高宗に至って始めて高祖・太宗を崇めて配し、垂拱初にまた高宗を加え遂に三祖同配の礼となりました。宋に至ってもまた三帝を配したことがありますが、後に礼院が上議して天地の神は対越するに二主なしと為し、これにより止だ太祖のみをもって配しました。臣が思うに冬至に親郊するには宜しく古礼に従うべきです」と言った。上は「唐宋は私親をもって古に合わず法とするに足りない、今は止だ太祖のみをもって配すべきだ」と言い、また宰臣に「本国の拝天の礼は甚だ重い、今汝らが古制に依り築壇を言うのもまた宜しい、我が国家は遼・宋を絀(しりぞ)け天下の正に拠っている、郊祀の礼をどうして行わずにいられようか」と言った。乃ち八月に詔して「国は祀より大なるはなく、祀は天より大なるはない、振古の行う所、旧章は皆存する。仰いで惟うに太祖の基命は我が本朝の燕謀を詒し、万邦を奄有すること今五紀に及ぶ。時に因って制作したが国容に増飾したと言っても本を推し奉承するにはなお郊見に遑あらざりき。況や天休が滋々至り年穀が屡々豊かなるをや、敢えて曠文を繹敷せざらんや。明昭太報、陽升の至日を取り将に圜壇に親饗せんとす。嘉んじて臣工と共に熙事を図らん。今年十一月十七日をもって南郊に事あり、爾有司に咨(はか)る、各々乃の職を揚げ予の肆祀を相(たす)け或いも不欽なることなかれ」と述べた。乃ち前一日に遍く祖宗に見え郊祀の事を告げ、その日は法駕鹵簿を備え躬ら郊壇に詣で礼を行った。

儀注

  • 斎戒は唐制を用い、大祀は散斎四日致斎三日、中祀は散斎二日致斎一日。天子親祀は皆前期七日、摂太尉が誓う。亜終献官・親王陪祀の皇族は宮省において(皇族十五以上、官が七品に至らない者もまた助祭で誓を受ける)、また百官を尚書省で誓わせ、摂太尉は南向し司徒は北向し、監祭御史は西にあり監礼博士は束に居り皆相向す。太常卿は司徒の後に重行して北向し、司天監・光禄丞・太廟令丞・大楽令丞・太官令丞・良醞令・廩犧令・郊社丞・司尊・太祝・奉礼郎・協律郎・諸執事官は皆重行西上北向す。礼直官が誓文を摂太尉に授け、乃ち誓って「維れ某年歳次某甲某月某日某甲、皇帝南郊に事あり、各々其の職を揚げよ、其れ或いは不恭なれば国に常刑あり」と言う。礼直官が「七品以下官は皆退け」と賛し、余は皆再拜して退く。宮省で誓う儀も皆同じ。
  • ここにおいて皇帝は別殿で散斎し前致斎一日、尚舎が御坐を大安殿に設け中に当たり南向させる。東西房を御坐の側に設け、御幄を室内に設け、簾を楹下に施す。享の前三日、小次を陳設し、享の前一日、拝褥および皇帝版位・皇帝飲福位および黄道氈褥を玉輅より升輿の所に至るまで設ける。致斎の日、通事舍人が文武五品以上の官を引いて陪位すること式のごとくし、諸侍衛の官は各々その器服を服し並びに珮を結び俱に閤に詣で上を奉迎する。丑二刻、侍中が板をもって「外辦」と奏し、皇帝は袞冕を服し珮を結び輿に乗って出、警蹕・侍衛は常儀のごとし。皇帝は御坐に即き東向して坐り、通事舍人が殿上下に伝承し俱に拝し訖われば西面して各々祗候するよう賛す。一刻頃、侍中が跪奏し「臣某、請う斎に降就せん」と言い俛伏して興ち侍位に還る。皇帝は座を降り室に入り群官は皆退き、諸執事官は皆正寝に宿り事を治すこと故のごとくす。喪を弔わず病を問わず刑殺文字を判署せず罪人を決罰せず穢悪の事に与らない。致斎の日はただ祀事のみ行い、余は悉く禁ず。既に斎して闕けた者は通じて摂行事とする。

陳設

  • 祀に先立つこと五日、儀鸞・尚舎が斎宮に陳設し、有司が扈従侍衛の次を宮の東西に設け、また陪祀の親王の次を宮の東やや南に西向北上に設け、宗室子孫の位をその後に設け、また司徒・亜終献行事執事官の次を壇南外壝門の東西向北上に設け重行異位とする。また天名房を壇南外壝門の東西向に設け大礼使の次をその後に設け皆西向とする。また席大屋を壇外の西北に設け車輅を駐めて風雪に備える。
  • 祀に先立つこと三日、尚舎が大次を東壝外門内道の北南向に設け、また小次を壝下卯陛の北南向に設ける。有司が饌幔を東壝中門の北南向に設け兵衛を設け各々その器服を服させ壝門を守衛させる、門ごとに二人。郊社令がその属を帥いて壇の上下および壝の内外を掃除し、乃ち燎位を南中壝東門の東、壇の巳位に為し、また瘞坎を中壝内の戍位に為す。
  • 祀に先立つこと二日、大楽令がその属を帥いて登歌の楽を壇上のやや南北向に設ける。玉磬は午陛の西、金鐘は午陛の東、柷一つは鐘の前やや北、敔一つは磬の前やや北にあり東西に相向く。歌工の次と余工は各々縣の後に立ち、琴瑟は前に、匏竹は後にあって壇下第一等の上に皆重行異位で北向する。また宮縣楽を南壝外門の外に設け八佾二舞表を楽の前に設ける。また采茨楽を応天門前に設ける。
  • 祀に先立つこと一日、奉礼郎が皇帝版位を壇上辰巳の間北向に升設し、また皇帝飲福位をその左やや却って北向に設け、また礼直官を帥いて亜終献位を卯陛の東北西向北上に設け、司徒位を卯陛の東道南西向に設け、礼部尚書・太常卿・光禄卿・礼部侍郎の位は各々これに次ぎ、太常丞・光禄丞はまたこれに次ぐ。また大礼使位を小次の左やや却って西向に設け、また分献官・司天監・読冊中書侍郎の位を中壝門道の北西向に設け、郊社令・廩犧令・太官令・良醞令の位をその後に設け、また郊社丞・大祝・奉礼郎以下諸執事官をその後に皆西向重行異位で設ける。また従祀文武群官一品より五品までの位を中壝門内道の南西向に設け皆重行に立たせる。また助奠祝史・斎郎の位を東壝門外道の北西向に設け、また陪祀の皇族を道の南西向に設け六品より九品までの従祀群官はまたその南に皆西向重行異位でそれぞれその品に依らせる。また監祭御史二員(一員は午陛の西南、一員は子陛の西北)皆東向、監礼博士二員(一員は午陛の東南、一員は子陛の東北)皆西向に設ける。また大楽令位を楽簴の間やや東西向に、協律郎位を楽簴の西東向に設ける。また奉礼郎を壇南やや東西向に設け賛者これに次ぎ、司尊位を酌尊所倶に北向に設ける。また牲牓を外壝東門の外西向に設け、饌牓をその北やや西南向に設ける。牲牓の東を牲位とし太史・太祝が各々位を牲の後に俱に西向で置く。また礼部尚書・太常卿・光禄卿の位を牲牓の南やや北西向に設け、太常丞・光禄丞・太官令の位をその後に置き、監祭御史・監礼博士を礼部尚書位の西やや却って北向に、廩犧令位を牲位の西南北向に設ける。
  • また礼饌を饌牓の前の案上に陳ね、未後三刻に饌を陳ねる時、また礼部尚書・太常卿・光禄卿の位を案前やや東北上西向に設け、太常丞・光禄丞・大官令の位をその後西向に、また監祭御史・監礼博士の位を案前やや西北上東向に設ける。また異宝嘉瑞位を宮縣の西北に設け太府少監位を宝の後に、諸州歳貢位を宮縣の東北に、戸部郎中位をその後に、天子八宝位を宮縣の西南に、符宝郎八員を各々宝の後に、伐国毀宝位を宮縣の東南に、少府少監位をその後に設ける。また大楽令位を宮縣の北やや東に、協律郎二を大楽令の南に東西相向で設ける。
  • 司天監が未後二刻に郊社令と同じく昊天上帝・皇地祗の神座を壇上北方南向に升設する、地祗位は東やや却った席で皆藁秸を用いる。太祖配位座は東方西向、席は蒲越を用いる。五方帝・日月・神州地祗・天皇大帝・北極の神座は壇上第一等に置き席は皆藁秸、内官五十四座・五神五官・嶽鎮海瀆二十九座は壇第二等中官百五十八座・崑崙山林川沢二十一座に、外官百六十座・邱陵墳衍原隰三十座は内壝の内に、衆星三百六十座は内壝の外にあり、席は皆莞を用い神座版は各々座首に設ける。また礼神玉を設け告潔畢を俟って権りに徹去し壇上および第一等神位を祀日前五刻に重ねて設ける。
  • 奉礼郎が司尊および執事者と同じく天地配位を各々左十一籩右十一豆設け倶に三行とする。登三は籩豆の間、簠一簋一は登の前、簠は左簋は右、各々神座の前に席を藉して設ける。また天地位太尊各二、著尊各二、犠尊各二、山罍各二を壇上東南隅に、配位の著尊二・犠尊二・象尊二を天地位酒尊の東倶に北向西上、皆坫あり勺を加え羃を酌尊所とする。また天地位象尊各二・壺尊各二・山罍各四を壇下午陛の南北向西上に、配位の壺尊二・山罍四を酉陛の北東向北上に設け、皆坫があり設けて酌まない、また左に明水を右に玄酒を用いる。
  • また五方帝・日月・神州地祗・天皇大帝・北極の第一等は皆左八籩右八豆、登は籩豆の間、簠一簋一は登の前、爵坫一は神座の前にある。第一等内官五十四座・五神五官・嶽鎮海瀆二十九座は座ごとに籩二豆二簠一簋一俎一爵坫一。第二等中官百五十八座・崑崙山林川沢二十一座および内壝内外官百六十座・邱陵墳衍原隰三十座、内壝外衆星三百六十座は位ごとに籩二豆二簠一簋一俎一爵一。また第一等位ごとに太尊二・著尊二皆坫があり勺を加える。第二等位ごとに山尊二。第三等位ごとに蜃尊二。内壝内外の位ごとに毎辰概尊二。皆勺を加え、第二等已下は皆匏爵を用い先に洗拭してから尊所に置く、その尊所は皆神位の左にある。凡そ祭器は皆席を藉きし籩豆は各々中蓋を加える。また天地および配位の籩一豆一簠一簋一俎四および毛血豆各一、あわせて第一等神位ごとに俎二を饌幔内に設ける。また皇帝洗位を卯陛下道の北南向に設け、盥洗は東に爵洗は西に匜は東に巾は西に篚南肆実玉爵坫を設ける。また亜終献洗位を小次の東南向に、盥洗は東に爵洗は西に加勺篚は西南肆加巾に設ける。また第一等分献官盥洗爵洗位および第二等分献官盥洗位を各々その辰陛道の左に設け、罍は洗の左、篚は洗の右倶に内向、執罍篚者の位はその後に設ける。太府監・少府監は祀の前一日未後二刻にその属を帥いて壇に升り玉幣を陳ねる。昊天上帝は蒼璧・蒼幣、皇地祗は黄琮・黄幣、配位は蒼幣、黄帝は黄琮、青帝は青珪、赤帝は赤璋、大明は青珪璧、白帝は白琥、黒帝は玄璜、北極は青珪璧、天皇大帝は玄珪璧、神州地祗は玄色両珪有邸を用い皆匣に置く。五帝の幣は各々その方色に従う。凡そ幣は皆篚に陳ね設け訖われば告潔を俟ってから権りに徹去する。祀日に重ねて設ける。
  • 祀日丑前五刻、礼部が祝冊を神座の右に案を藉して設ける。太常卿が燈燎を明らかにし、戸部郎中が諸州歳貢を宮縣の東北に設ける、金を前列とし玉帛これに次ぎ余は従列とし皆席を藉して歳貢の後に立ち北向する。太府監・少府監が異宝嘉瑞を宮縣の西北に設ける、上瑞を前に中下これに次ぎ皆席を藉して宝の後に立ち北向する。少府少監が伐国毀宝を宮縣の東南に設ける、皆席を藉して宝の後に立ち北向する。符宝郎が八宝を宮縣の西南に設ける、各々分けて宝の南に立ち皆北向する。
  • 司天監・太府監・少府監・郊社令・奉礼郎が昊天上帝・皇地祗配位および壇上第一等神座を升設し、また玉幣を各々その位に設け、太祝が瘞玉を取って幣に加え礼神の玉を各々神座の前に置き乃ち退く。光禄卿がその属を帥いて祭器を実たす。昊天上帝・皇地祗配位は位ごとに籩三行、右を上とし、形塩を前に魚鱐糗餌をこれに次ぎ、第二行は榛実を前に乾桃・乾梁・乾棗をこれに次ぎ、第三行は乾菱を前に乾芡・乾栗・鹿脯をこれに次ぐ。豆三行は左を上とし、芹菹を前に筍菹・葵菹をこれに次ぎ、第二行は薤菹を前に菁菹・魚醢・兎醢をこれに次ぎ、第三行は豚胉を前に醓醢・酏食・鹿臡をこれに次ぐ。簠は黍、簋は稷、登は皆大羮。第一等壇上十位は位ごとに皆籩三行実たし、右を上とし、形塩を前に魚鱐これに次ぎ、第二行は乾梁を前に桃棗これに次ぎ、第三行は乾芡を前に榛実・鹿脯これに次ぐ。豆三行は左を上とし、芹菹を前に筍菹これに次ぎ、第二行は菁菹を前に薤菹・魚醢これに次ぎ、第三行は豚胉を前に醓醢これに次ぎ鹿臡これに次ぐ。簠は黍、簋は稷、登は大羮。第二第三等は位ごとに籩二(鹿脯・乾棗)豆二(鹿臡・菁菹)俎羊一段。内壝内・内壝外は位ごとに籩は鹿脯、豆は鹿臡、俎は羊一段。
  • 良醞令がその属を帥いて尊罍を実たす。昊天上帝・皇地祗は大尊を上とし汎斉を実たし著尊これに次ぎ醴斉を実たし犠尊これに次ぎ盎斉を実たし象尊これに次ぎ醍斉を実たし壺尊これに次ぎ沈斉を実たし山罍を下とし三酒を実たす。配位は著尊を上とし汎斉を実たし犠尊これに次ぎ醴斉を実たし象尊これに次ぎ盎斉を実たし壺尊これに次ぎ醍斉を実たし山尊を下とし三酒を実たす。第一等は位ごとに大尊は汎斉を実たし著尊は醴斉を実たす。第二等は山尊は醍斉を実たす。第三等および内壝内の蜃尊は汎斉を実たす。内壝外および衆星の概尊は三酒を実たす。

省牲器

  • 祀の前一日午後八刻、壇を去ること二百歩、行人を禁止する。未後二刻、郊社令丞がその属を帥いて壇の上下を掃除し、司尊・奉礼郎がその属を帥いて祭器を位に入れ設け、司天監が神位を設け、太府監・少府監が玉幣を篚に陳ねる。未後三刻、礼直官が廩犧令と諸太祝・祝史を引いて牲をもって位に就かせ、また礼直官・賛者が礼部尚書・太常卿・光禄卿・礼部侍郎・太常丞・監祭御史・監礼博士・廩犧令・太官令・太官丞を分けて内壝東門外の省牲位に詣らせ立ち定まると乃ち礼部尚書・侍郎・太常丞および監祭御史・監礼博士を引いて卯階より升らせ濯滌を視させ、執事者は皆暴を挙げ告潔し倶に畢われば降りて位に復する。礼直官がやや前に「告潔畢、省牲を請う」と言い、礼部尚書・侍郎および太常卿・丞がやや前んで省牲し訖われば退いて位に復する。次いで光禄卿・丞を引いて牲を一匝巡り、光禄卿は退き光禄丞は西向して身を折って「備わり訖わる」と言い乃ち位に復する。次いで廩犧令を引いて牲を一匝巡り西向して躬身し「充つ」と言う。また諸祝史を引いて牲を一匝巡り首の一員が西向して躬身し「腯(ゆた)かなり」と言い畢われば倶に位に復する。礼直官がやや前んで「省饌を請う」と言い乃ち礼部尚書以下を引いて各々位に就き立ち定まると省饌し訖われば礼直官が礼部尚書・侍郎・太常卿・丞を引いて各々斎所に還り、余の官と廩犧令・諸太祝・祝史は次いで牲を牽いて厨に詣り太官令丞に授け、次いで光禄卿・丞・監祭・監礼を引いて厨に詣り鼎鑊を省み滌濯を視終われば乃ち斎所に還る。晡後一刻、太官令が宰人を帥いて鸞刀で牲を割き、祝史が各々毛血を取り豆に実たして饌幔に置き遂に牲を烹る。祝史は乃ち瘞血を取って盤に貯える。

奠玉幣

  • 祀日丑前五刻、亜終献・司徒以下、応に行事すべき陪従の群官は各々その服を服して次に就く。司天監が復た壇上および第一等神位を設け、太府監・少府監が玉幣を陳ね、太常卿・郊社令丞が燭燎を明らかにし、光禄卿丞が籩豆・簠簋・尊罍を実たし、監祭・監礼の案視を俟って巾蓋を徹去する。大楽令が工人を宮縣の内に帥い布かせ、文舞八佾を縣の前・表の後に立たせ、武舞八佾は各々四佾となり宮縣の左右に立たせ、引舞・執纛等は前にあり、また登歌楽工を引いて卯陛より升らせ各々その位に就かせる。歌う者・撃つ者・弾く者は坐し吹く者は立つ。奉礼郎・賛者が先に入って位に就き、余の礼直官・賛者が分けて分献官・監祭御史・監礼博士・諸執事および太祝・祝史・斎郎・助奠・執尊罍・挙羃等の官を引いて中壝東門より入り、壇の南に当たり重行西上北向に立ち定まると、奉礼郎が拝を賛し分献官以下皆再拝訖われば奉礼が「各々位に就け」と賛す。賛者・礼直官が分けて監祭御史・監礼博士を引いて祝壇の上下を按じ儀のとおりでない者を糾察し位に復させる。礼直官が司徒を引いて位に就かせ西向立させ、礼直官が博士を引き博士が亜献を引いて東壝偏門より入り位に就かせ西向立させ、また礼直官が終献を引いてその位に次がせる。
  • 祀日未明一刻、通事舍人が侍中を引き斎殿に詣り跪奏「中厳を請う」と言い俛伏して興ちまた少し頃いて乃ち跪奏「外辦」と言う。尚輦が輿を進めるのを俟って乃ち跪奏し「具官臣某、皇帝の座を降り輿に升ることを請う」と称する。皇帝が大次に至れば乃ち跪奏し「具官臣某、皇帝の輿を降りることを請う」と称する。皇帝が次に入り大次外に即位し質明に次の前に詣り跪奏「中厳を請う」と言い少し頃いてまた「外辦」と奏し訖われば太常卿が乃ち次前に当たり跪して「具官臣某、皇帝の行事を請う」と称し俛伏して興つ(凡そ跪奏はこれに准ずる)。皇帝が次を出て乃ち前導により中壝門に至り、殿中監が大圭を進め太常卿が「大圭を執って入り正門より入ることを請う」と奏する。皇帝が小次の位に入り西向立すると太常卿は乃ち博士と分けて左右に立ち定まり乃ち「有司謹んで具わる、行事を請う」と奏する。降神は六成で楽が止み、太常卿の別の一員が乃ち烟を升り血を瘞み訖われば乃ち「拝を」と奏し拝訖われば侍中が壇に升り盥洗位に詣ることを請い、位に至れば「大圭を搢(さしはさ)み手を盥うことを請う」と奏し訖われば「手を帨うことを請う」と奏する。皇帝が手を帨い訖われば「大圭を執ることを請う」と奏し乃ち壇上に引く。殿中監が鎮圭を進め乃ち「大圭を搢み鎮圭を執ることを請う」と奏する。皇帝が鎮圭を執り昊天上帝の神座の前に詣り「跪して鎮圭を奠くことを請う」と奏する。皇帝が奠き訖われば大圭を執り俛伏して興つ。侍中が玉幣を進め乃ち「大圭を搢み跪して玉幣を奠くことを請う」と奏し訖われば乃ち「大圭を執ることを請う」と奏し俛伏して興ち少し退き、また「再拝を」と奏する。皇地祗および配位に詣り鎮圭・玉幣を奠くことは並びに上の儀のごとくする(配位はただ鎮圭を奠くことおよび幣を奠くことのみを奏する)。玉幣を奠き畢われば皇帝は版位に還り乃ち「小次に還り大圭を釈くことを請う」と奏する。皇帝が小次に入れば乃ち小次の南やや東に立ち皇帝が配位の幣を奠こうとするのを俟つ。
  • 賛者が分けて第一等分献官を盥洗位に詣らせ笏を搢み手を盥い手を帨い笏を執って各々その陛より升らせる(ただ午陛は使わない)。神前に詣り笏を搢み跪すと太祝が玉幣を授け奠き訖われば俛伏して興ち再拝し訖われば各々本陛より降り位に復する。初め分献が将に降ろうとする際、礼直官が諸祝史・斎郎の助奠すべき者を引いて再拝させ、祝史が各々毛血の豆を奉じて入り各々その陛より升れば諸太祝が壇上でこれを迎え取り奠き訖われば退いて尊所に立つ。

進熟

  • 玉幣を奠き訖われば降りて小次に還る。有司が先に牛鼎三・羊鼎三・豕鼎三・魚鼎三を各々鑊の右に陳ねる。太官令丞が進饌者を帥いて厨に詣り七升の牛羊豕魚を鑊より各々鼎に実たす。牛羊豕は皆肩・臂・臑・肫・胳・正脊各一、長脇二、短脇二、代脇一、凡そ十一体、牛豕は皆三十斤、羊十五斤、魚十五頭一十五斤とし実たし訖われば羃をする。祝史二人が扃で対で鼎一つを挙げ、牛鼎を前に羊豕これに次ぎ魚またこれに次ぐ。有司が鼎を執って従い各々位ごとの饌幔に陳ねる。位は従祀の壇上第一等の五方帝・大明・夜明・天皇大帝・神州地祗・北極、皆羊豕の体は並びに同じ。光禄卿が祝史・斎郎・太官令丞を帥い各々七升の牛羊豕魚を俎に、肩臂臑を上端に肫胳を下端に七脇を中に置き、魚は即ち横に置き頭を尊位に向けて置き、鼎羃を去って設ける。光禄卿丞が太官令丞と同じく籩豆・簠簋を実たす。籩は粉餈を実たし豆は糝食を実たし簠は稲を実たし簋は梁を実たし、皇帝が小次に還るのを俟って楽が止む。
  • 礼直官が司徒を引いて饌幔所に詣り薦籩豆簠簋俎・斎郎と共に各々天地配位の饌を奉じさせ、司徒が太官令を帥いて序を以て内壝正門より入り楽が作り壇下に至り、祝史が毛血の豆を進め徹し卯陛より降り次いで出るのを俟って訖われば、司徒と薦籩豆簠簋俎・斎郎が昊天上帝・皇地祗の饌を奉じ午陛より升る。太官令丞と薦籩豆簠簋俎・斎郎が配位および第一等神位の饌を奉じ卯陛より升る。各位で太祝が壇陛の道の間で迎え、昊天上帝の位では司徒が笏を搢み北向し跪して粉餈の籩を奉じ糗餌の前に置き、糝食の豆は醓醢の前に置き、簠は左簋は右で皆登の前に置き、牛俎は豆の前に置き羊豕魚俎はこれに次いで右を上とする。司徒が俛伏して興ち饌を奉じる者が奉じ訖われば皆笏を出して位に就き一拝する。司徒は次いで皇地祗に詣り奉奠すること並びに上の儀のようにする、配位もまた同じ。司徒および天地配位の饌を奉じる者は次いで降る。太官令が第一等神位の饌を帥い各々その位に、並びに前の儀のようにし俱に畢われば楽が止む。司徒・太官令以下は皆位に就き訖われば侍中が卯陛より升り昊天上帝の酌尊所に立って太常卿が乃ち次の前に当たり俛伏跪して「皇帝の盥洗位に詣ることを請う」と奏し俛伏して興つ。皇帝が次を出て殿中監が大圭を進め乃ち「大圭を執ることを請う」と奏する。
  • 盥洗位に至り「大圭を搢み手を盥うことを請う」と奏する。皇帝が手を盥い訖われば「手を帨うことを請う」と奏する。皇帝が手を帨い訖われば「大圭を執ることを請う」と奏し乃ち爵洗位に詣り位に至れば「大圭を搢み爵を受けることを請う」と奏し、また「爵を洗うことを請う」と奏する。皇帝が爵を洗い訖われば「爵を拭くことを請う」と奏する。皇帝が爵を拭き訖われば「大圭を執り爵を奉爵官に授けることを請う」と奏する。皇帝が昊天上帝の酌尊所に詣り爵を執り、良醞令が羃を挙げ侍中が跪して太尊の汎斉を酌み、酌み訖われば皇帝が爵を侍中に授ける。皇帝が乃ち昊天上帝の神座前に詣り侍中が爵を進め乃ち「大圭を搢み跪して爵を執り三たび酒を祭ることを請う」と奏し訖われば「爵を奠くことを請う」と奏する。奠き訖われば「大圭を執り俛伏して興つことを請う」と奏し、また「少し退いて立ち中書侍郎の冊文を読むのを俟つことを請う」と奏する。読み訖われば乃ち「再拝を」と奏する。皇地祗位および配位に詣ること並びに上の儀のごとくする。献畢われば皇帝は版位に還り、乃ち「小次に還り大圭を釈くことを請う」と奏する。皇帝が小次に入ると太常卿は小次の東南に立つ。
  • 礼直官が博士を引き博士が亜献を引いて盥洗位に詣り笏を搢み手を盥い手を帨い訖われば爵洗位に詣り笏を搢み爵を洗い爵を拭き訖われば爵を執事者に授け笏を執って卯陛より升り昊天上帝の酌尊所に詣り西向立し、執事者が爵を授けると乃ち笏を搢み爵を執り、執尊者が羃を挙げ良醞令が跪して著尊の醴斉を酌み、酌み訖われば復た爵を執事者に授け笏を執って昊天上帝の神座の前に詣る。初め亜献が盥洗位に至ると文舞は退き武舞が進み楽が作る。亜献が昊天上帝神座の前に詣り笏を搢み跪すと執事者が爵を授け乃ち爵を執り三たび酒を祭り爵を奠き笏を執って俛伏して興ち少し退き再拝する。次いで皇地祗および配位に詣ること並びに上の儀のごとくする。献畢われば降りて位に復する。
  • 礼直官が博士を引き博士が終献を引いて盥洗位に詣り手を盥い爵を洗い壇に升り奠献すること並びに上の儀のごとくする。初め終献が壇に升ろうとすると礼直官が第一等分献官を分けて引いて盥洗位に詣らせ笏を搢み手を盥い手を帨い笏を執って各々その陛より升らせる(ただ午陛は使わない)。神位の酌尊所に詣り執事者が爵を授けると乃ち汎斉を酌み訖われば爵を執事者に授け共に神座の前に詣り笏を搢み跪すと執事者が爵を授け乃ち爵を執って三たび酒を祭り爵を奠き笏を執って俛伏して興ち少し退いて再拝し訖われば各々本位に還るよう引く。初め第一等分献官が升ろうとすると賛引が第二等・第三等・内壝内外の衆星位の分献官を引いて各々盥洗位に詣らせ笏を搢み手を盥い手を帨い酒を酌み奠め拝すること並びに上の儀と同じくする。祝史・斎郎が次いで助奠し訖われば各々本位に還る。諸太祝が各々進んで籩豆各一を徹し少し故処より移し楽が作り徹し終われば楽が止む。初め終献の礼が畢われば降りて位に復し、太常卿が乃ち次の前に当たり俛伏跪して「皇帝の飲福位に詣ることを請う」と奏する。皇帝が次を出て殿中監が大圭を進め乃ち「爵を執り三たび酒を祭ることを請う」と奏し、また「酒を啐(すす)ることを請う」と奏する。皇帝が酒を啐り訖われば爵を侍中に授け乃ち「胙を受けることを請う」と奏する。侍中が再び爵酒をもって進め乃ち「爵を受けて福を飲むことを請う」と奏する。
  • 皇帝が福を飲み訖われば「大圭を執り俛伏して興つことを請う」と奏し、また「再拝を」と奏し訖われば導いて版位に還らせ西向立させ送神楽を俟つ。正に乃ち「望燎位に詣ることを請う」と奏する。位に至れば南向立し柴が半ば燃えるのを俟って乃ち跪して「具官臣某言す、礼畢わる」と奏する。皇帝が大次に還り中壝門外を出れば「大圭を釈くことを請う」と奏する。皇帝が大次に入る。初め終献の礼が畢われば司徒・侍中・大祝が各々卯陛より升り、太祝が胙俎を持って進み天地配位の前の胙肉を減じ俎に加える。皆前脚の第二節を取り、また黍稷の飯を共に一籩に置き奉じて司徒・侍中の後に詣り北向立し、皇帝が飲福位に至るのを俟つ。太常卿が「皇帝、大圭を搢み酒を啐ることを請う」と奏し訖われば司徒が乃ち胙俎を進める。皇帝が胙を受け訖われば奉礼郎が「胙を賜う」と賛し賛者が「再拝」と唱え位に在る者は皆再拝する。送神楽一成にして止み、皇帝が既に大次に入り更に通天冠・絳紗袍に改め輿に升り斎宮に至り金輅に乗る。通事舍人が門下侍郎を引き輅の前に当たり跪して「具官臣某、車駕の進発を請う」と称し奏し、侍臣が馬に上る所に至れば乃ち跪して「具官臣某、車駕の少駐を請う」と奏し、侍臣に上馬を勅す。侍中が「制可」と称し乃ち退いて制を伝え「侍臣上馬」と称する。侍臣が上馬し畢われば乃ち跪して「具官臣某、車右に勅して干牛将軍に升らせることを請う」と称して奏し、将軍が升り訖われば跪して「具官臣某、車駕の進発を請う」と称して奏する。車駕が動けば前中後三部の鼓吹凡そ十二隊が斉しく作り、応に行礼すべき陪従祀官が先に応天門に詣り奉迎再拝する。大楽令が先に応天門外に詣り奏楽の准備を儀のようにし訖われば日を択んで賀を称する。

承安元年の議

  • 承安元年(1196年)、郊礼を将に行おうとした際、礼官が「礼神の玉は当に真玉を用いるべきで、燔玉は当に次玉を用いるべきです。昔、大定十一年、天地の玉は皆次玉をもってこれに代えました。臣らはその未だ尽くしていないことを疑います、礼は恒あることを貴び継げない者は敢えて献じません、もし真玉を燔けば常祀にこれを用いるには時にあるいは闕けることを恐れかえって礼制を失うでしょう、もし近代の典および本朝の儀礼に従えば真玉は礼神に、次玉は燔瘞に、これが礼として当を得ています。近代の郊で第二等より天皇大帝・北極を第一等の前八位に升したものは、旧く各々礼玉・燔玉がありましたが、この二位にはなお無いようです。按ずるに周礼典瑞に『圭璧をもって日月星辰を祀る』と云います。近代の礼、九宮貴神・大火星位はなお周礼の説を用いています。その天皇大帝・北極の二位は固より礼神の玉および燔玉を用いるべきです」と言い、上は俱に真玉を用いるよう命じた。
  • 省臣がまた奏し「前時、郊の天地配位は各々一犢を用い、五方帝・日月・神州・天皇大帝・北極十位は皆大祀でこれもまた犢を用いるべきですが、当時ただ羊を用いるに止まりました。第二等以下の従祀神位は羊豕を分刲してこれを献じました。ひそかに思うに、天地の祀の籩豆が尚多いのは陰陽の物に備えるためであり、鼎俎が尚少ないのは人の烹薦がその徳に称するものがないため貴質のみとしたのでしょう、ゆえに天地日月星辰の位は皆一俎を用います。前時、第一等神位に徧く二俎を用いたのは倫でないようです。今、第一等神位もまた当に各々犢一を用いるべきで、余位は羊豕をもって分献すべきです。朝享太廟には則ち犢十二を用います」と言い、上はこれに従った。