華陽國志卷十下 梓潼人士

梓潼郡の男子

  • 文齊(字子竒、梓潼):公孫述に服さず光武帝に鎮遠将軍に封じられた益州太守。
  • 李業(字巨遊、梓潼):公孫述の毒酒による脅迫にも屈せず「名は毀たれても身は辱められぬ」と毒を仰いで死んだ。
  • 景毅(字文堅、梓潼):益州太守として飢饉を治め、米価を千銭から八銭に下げた治績で知られる。
  • 楊充(字盛国、梓潼):馬季長らに七経を学んだ学者。
  • 景鸞(字漢伯、梓潼):『礼略』『月令章句』など五十万言を撰した学者。
  • 張夀(字伯僖、涪):六年かけて奴僕として売られた友人を贖い救った。
  • 李餘(涪):母の身代わりに死を願い出た孝子。
  • 冦祺(字宰朝、梓潼):友の仇討ちを果たした義士。
  • 李助(字翁君、涪):医術で郭玉に並び称された。
  • 李仁(字德賢、涪):荊州で古学を修めた。
  • 杜微(字国輔、涪):耳を病んだと称して仕えず、丞相亮の招聘にも諫大夫として留まった。
  • 尹黙(字思潜、涪):左氏春秋に精通し後主に授けた。
  • 李譔(字欽仲、仁の子):五経から医術・弓弩の技まで通じた博学の士。
  • 李福(字孫德、涪):先主・後主に仕えた尚書僕射。
  • 文恭(字仲宝、梓潼):李福と同郡で亮の治中従事を務めた。

梓潼郡の女子

  • 季姜(梓潼文氏、王敬伯の夫人):継子博以下八子を分け隔てなく育て「三母堂」と称された。
  • 杜慈(涪杜季女、虞顕の妻):改嫁の強要に自死して守節した。
  • 敬楊(涪郭孟の妻、楊文の女):父の仇を討たせようと夫を説得し、自ら仇を打ち殺した壮烈な女性。

梓潼郡士女総括

  • 合計十八人(士十五人・女三人)。

二州士女の総評

  • 譔曰く、益州・梁州の人士は漢から魏にかけて二百四十八人、後賢二十人を合わせ二百六十八人にのぼる。厳君平の易俗移風、李仲元の高潔、揚雄の深遠、鄭子真の高名、譙周の不屈、楊宣の柔軟な処世など、それぞれの生き方が世に範を示した。漢は八士を徴したが蜀はそのうち四人を占め、また「漢に四義あり、蜀その二を選ぶ」と評されるほど人材が豊富であった。常璩は自らが乱世に生まれ育ち詳細を尽くせぬ部分があることを断りつつ、後世の好事家に補完を託すと結ぶ。