間書明の孔鏞、王曾・陳瑞の二人を郷間として阿溪・阿刺を捕らえた策
要約
- 貴州の苗族・阿溪は智謀に富み、養子の阿刺は膂力に優れ、二人は近隣の弱い苗族から搾取し、官の捕縛があれば賄賂と身代わりで切り抜け、監軍・総帥も買収して勢威をほしいままにしていた。
- 弘治年間、都御史の孔鏞が貴州を巡撫しその実情を知ったが、監軍・総帥は皆阿溪をかばうため頼れず、自ら清平に赴いて部下を訪ね、指揮の王通を得た。
- 王通は当初阿溪について語ろうとしなかったが、孔鏞に問い詰められて事情を打ち明け、阿溪に賄賂を仲介している指揮の王曾・総旗の陳瑞の名を明かした。
- 孔鏞は表向き人事選抜を装って王曾を呼び出し、内通を詰問して服させ、逆に阿溪捕縛への協力を求めた。王曾はさらに陳瑞を引き入れた。
- 陳瑞は闘牛好きの苗族の風習を利用し、良い牛を道端に置いて伏兵を潜ませ、阿溪・阿刺を牛見物に誘い出した。
- 陳瑞は孔鏞を「臆病で何もできない人物」と偽り、途中「王指揮が巡官として来る」と告げて出迎えさせ、帯刀を外させた。
- 王曾は迎えた阿溪・阿刺を叱責して騒がせ、伏兵を起こして二人を捕らえ、抵抗した阿刺もついに縛り上げられた。二人は貴陽で処刑・晒し首にされ、一帯は安定した。
- 按ずるに、これは軍を労せず糧を費やさず二人の郷間を用いて賊魁を捕らえた先例であり、賊の耳目となりがちな塘兵・郷練の扱いへの戒めともなる。著者自身も普安討伐の際、同様に耳目となりうる賊魁を計略で捕らえた。
現代語訳全文
『智嚢補』に言う、阿溪という者は、貴州清平衛に属する苗族の部の者である。荒々しく智謀に富み、諸々の苗族に対して雄を誇っていた。阿刺という養子があり、膂力並ぶ者なく、甲冑を三重に着けたまま三丈の矛を運び地から躍り上がると、たちまち三、五丈も跳んだ。二人は謀と勇とを相補い合い、部落を横行した。近隣の弱い苗族に対しては、毎年家畜や産物を分け取らせ、その税を倍に課した。その領内を旅する者があれば、他の苗族を誘ってこれを略奪させた。官の探索・捕縛があれば、必ず阿溪に謁して策を求めさせたが、阿溪はそこで多額の賄賂を要求し、一方で遠方の苗族のうち使い物にならない者を捕らえて、賊であると偽って命令に応じたことにした。そこで遠方の苗族は皆これを恐れて阿溪に身を投じ、彼を寨主とするようになった。監軍・総帥もまた常に賄賂を受け取り、ますますほしいままに憚るところがなくなった。阿溪は時に官と苗族との争いを起こさせて、両者から漁夫の利を得ていた。弘治年間、都御史の孔公鏞が貴州を巡撫し、その実情を探り知った。監軍・総帥に問うたが、皆、阿溪をかばった。孔公はともに事をなすことができないと知り、自ら清平に赴いて、部下の中の良い者を訪ねた。指揮の王通を得て、これを厚く礼遇した。時事について尋ねると、王通は滔々と答えたが、独り阿溪のことだけには触れなかった。孔公は言った、「聞くところでは、この地の事は阿溪のことが最も重大だというが、なぜひとり黙して語らぬのか」と。王通は答えなかった。重ねて問うと、王通は言った、「これを申せば公の事は片付き、一方の地は福を受けましょう。しかし申さねば、公はかえって威信を損い、我が一族は滅びるでしょう」と。孔公は笑って言った、「ただ申すが良い、どうしてうまくいかないことがあろうか」と。王通はそこで慷慨してその一部始終を述べた。孔公は言った、「阿溪のために上官へ賄賂を通じている者は誰か」と。王通は言った、「指揮の王曾、総旗の陳瑞です。公は必ずこの二人を捕らえてこそ事が成るでしょう」と。孔公は言った、「よろしい」と。翌日、将佐が庭に参上した。孔公は言った、「巡官を一人得たいと思う、そなたたちの中から前に出よ、私が自ら選ぶ」と言って、王曾を指して言った、「ほぼこの者で良かろう」と。人々が退出した後、孔公はひそかに王曾を詰問して言った、「そなたはどうして賊と通じているのか」と。王曾は驚いて弁解しきりであった。孔公は言った、「阿溪は毎年上官に賄賂を贈り、そなたがその仲立ちをしている。弁解して服さぬなら、私はそなたを斬るであろう」と。王曾は頭を叩いて何も言えなかった。孔公は言った、「恐れることはない、そなたは私のために阿溪を捕らえることができるか」と。王曾はそこで陳瑞が阿溪の諜報の勇者であることを孔公に語った。そして言った、「もう一人官を得られれば、共に事を行えましょう」と。孔公はその者を自ら挙げさせると、王曾は「陳総旗にまさる者はおりません」と言った。孔公は言った、「では一緒に連れて来るがよい」と。しばらくして陳瑞が入った。孔公はこれを王曾に対したのと同じように尋問した。陳瑞はしばしば王曾を振り返った。王曾は言った、「隠すことはない、我らの事は、公はすでに全て知っておられる。ただ力を尽くして公に報いるほかない」と。陳瑞もまた困難な状況を語った。孔公は言った、「そなたはただ彼阿溪を寨の外に誘い出せ、私が自らこれを捕らえよう」と。陳瑞は承諾して退出した。苗族の風習は闘牛を好んだ。陳瑞はそこで良い牛を探し出して道の途中に置き、屈強な男百人を牛のそばの茂みに伏せさせた。そして寨に入って阿溪に会った。阿溪は言った、「どうして久しく来なかったのか」と。陳瑞は言った、「都堂が新たに着任されたので、暇がありませんでした」と。阿溪は問うた、「都堂はどのような人物か」と。陳瑞は言った、「臆病者で、何もできない人物です」と。阿溪は言った、「聞くところでは、その人は広東にいた時、賊を討って名を上げたというが、なぜ何もできないというのか」と。陳瑞は言った、「同姓の別人であり、その人物ではありません」と。阿溪は言った、「賄賂を贈るのはどうか」と。陳瑞は言った、「まあゆっくりとしましょう、なぜ急いで金品を差し出す必要がありましょうか」と。阿溪はそこで陳瑞に酒を注ぎ、闘牛の話をほしいままに語り合った。陳瑞は言った、「先ほど道の途中で牛を見ましたが、堂々たる巨象のようでした。あなたの家の牛と比べていかがでしょうか」と。阿溪は言った、「まさかそんなことが。私が買い取ろう」と。陳瑞は言った、「牛を売る者はどうも土地の者ではないようで、寨に無理やり連れ込むのは難しいでしょう」と。阿溪は言った、「ではまず見に行こう」と言い、阿刺を連れて同行した。陳瑞は言った、「公の家の牛を連れて行き闘わせれば、優劣が決まりましょう」と。苗族の風習は鬼神を信じ、動くたびに必ず占う。阿溪は鶏で占ったが、吉ではなかった。また大きな網に身を包まれる夢を見たと言い、不利ではないかと恐れた。陳瑞は言った、「網で魚を得る夢は、牛があなたのものになる兆しです」と。そこで牛を連れて馬を並べて出発し、牛のいる場所に至ると、見てこれを喜んだ。二頭の牛がまさに闘おうとしたとき、突然、巡官が到着したとの知らせが入った。陳瑞は言った、「公はご存じですか、あれは王指揮ですよ」と。阿溪は笑って言った、「あの老王がどうしてこのような栄えある役目を得たのか。彼が来たら、からかってやろう」と。陳瑞は言った、「巡官が陣を敷かれるのですから、公はお迎えに行くべきです、まして旧知の間柄ではありませんか」と。阿溪と阿刺は馬に乗って出向いた。陳瑞は言った、「お二人とも帯刀をお外しください、新任の官が刀を見ると縁起が悪いと思われますから」と。阿溪と阿刺はともに刀を外した。王曾に会うと、王曾は声を荒げて阿溪・阿刺を詰問して言った、「上官が視察に来られるというのに、なぜ役所の建物を掃除して幔幕を張っておかないのか。それにもかかわらず、のうのうとここに来るとは何事か」と。阿溪・阿刺はふざけて言っているのだと思い、いい加減にあしらった。王曾は大いに怒って言った、「そなたたちを捕らえられぬとでも思うのか」と。阿溪・阿刺はなおも笑い傲っていた。王曾が大声で叫ぶと、伏兵が茂みの中から起こり、阿溪・阿刺を捕らえた。阿刺は素手で数十人を傷つけたが、ついに縛り上げられた。貴陽に馳せて孔公に見え、市中で処刑して晒し首にし、一帯はようやく安定した。
按ずるに、これは貴州で賊の首魁を捕らえた、後の手本となる先例である。軍を労せず食糧を費やさず、声を荒げることも顔色に出すこともなく、二人の郷間(現地の内通者)を用いて賊の首魁を捕らえるに至った。もし王曾・陳瑞を郷間として用いなければ、彼らは賊の耳目となっていたであろうから、賊を捕らえることは容易ではなかったはずである。今、塘兵・郷練(地元の民兵)の多くは賊の耳目となっている。それゆえ私は去年、普安の賊を討伐したとき、箐底の賊の首魁である孫阿徳、白沙の賊の首魁である劉阿潤に対して、その勇猛さと党与の盛んなることから耳目となる者が多いことを見て、いずれも意表を突いて計略により捕らえたのである。