間書秦の反間――信陵君を陥れる

秦の間諜による信陵君への謀略。

『史記』信陵君伝にいう。魏の公子信陵君は威勢天下に振るい、秦王はこれを憂えた。そこで魏に黄金一万斤を贈って晋鄙の食客を求め、公子を魏王に対して誹らせて言わせた。「公子は国を離れて外にあること十年、今や魏の将となり、諸侯の将はみな彼に属しております。諸侯はただ魏の公子の名を聞くのみで、魏王のことは聞きません。公子もまたこの時に乗じて南面して王となろうとしており、諸侯も公子の威を畏れて、ともに彼を立てようとしております」と。秦はしばしば反間を使わし、偽って祝賀させ「公子はもう魏王に立たれましたか」と言わせた。魏王は日々その誹りを聞き、信じないわけにいかなくなり、のちに果たして人を遣わして公子に代わって将とした。公子は自らが再び誹りによって廃されたことを知り、そこで病と称して朝廷に出ず、賓客とともに夜を徹して酒を飲み、醇酒を飲んでは多く婦人を近づけ、ついに酒に病んで死んだ。

按ずるに、田単が楽毅に反間を行ったときは「南面して斉の王になろうとしている」と言い、秦が信陵君に反間を使ったときは「南面して魏の王になろうとしている」と言い、また秦が趙の寵臣郭開に賄賂を贈って李牧に反間を行ったときは「謀反しようとしている」と言い、漢の陳平が項王の将鍾離眜に反間を行ったときは「項氏を滅ぼそうとしている」と言った。功績の多い者は、反間によって自身を害されるのでなければ、その間諜の策は入り込まないものである。ゆえに事は皆同じ筋道をたどって行われるのである。