間書間能・間助・間鄰の法を今に活かす――苗匪討伐への応用
要約
- 間能・間助・間鄰といった諸々の間諜の法は、今日でも神妙自在に変化させて活用すべきである。
- 銅仁の賊でいえば、偽将軍は種世衡が野利を離間した要領で、偽軍帥は陳平が范増を離間した要領で切り崩せば、賊は左右の手を失ったに等しくなる(間能・間助)。
- 土寇・苗匪は股(集団)が多く、分かれていれば撃ちにくく、合されば殲滅はさらに難しいので、張孟談が韓・魏を、班超が莎車を離間した例に倣い、一股ずつ離間してその助けを断つべきである。
- 今の賊に隣国はないが、土寇と苗匪の関係は隣国同士に等しいので、これを離間の対象とする(間鄰)。撫でて服さねば利で、利で動かねば爵位で、爵位で動かねば威で誘い、恩を結んだうえで反間し、互いに攻め合わせる。
- 苗と賊が争うさまは虎同士の闘いのようなもので、勝った方も必ず傷つく。傷ついた勝者を後で討てば労力は半分、功は倍になる。訓練した兵を安易に賊とじかに戦わせるのは、人を狐や兎と闘わせるに等しく、良策ではない。
- 訓練した兵は苗と賊を戦わせたうえでその威を助け、背後を制して功を収めればよい。古人の間鄰の法は、文言に拘泥せず、その意を汲んで今日に応用すべきである。
現代語訳全文
今日において、間能(敵の有能な者を利用する間諜)・間助(敵を助ける勢力を利用する間諜)・間鄰(隣接する勢力を利用する間諜)といった諸々の間諜の法は、まさに神妙自在に変化させて用いるべきである。
按ずるに、今日間諜を用いるには、間能・間助を要とする。銅仁の賊についていえば、その偽の官職に就く有能な者には、偽の将軍、偽の軍帥がいる。その偽将軍を離間するには、種世衡が野利を離間した例(後に詳しく述べる)のようにし、その偽軍帥を離間するには、陳平が范増を離間した例(後に詳しく述べる)のようにすれば、賊はまるで左右の手を失ったかのようになる。また土寇・苗匪は股(一味・集団)の数が多く、股が分かれていれば撃つのは容易ではなく、股が合わされば殲滅するのはなおさら難しい。よく一股を離間して分裂させれば、それだけ一股の助けを失わせることになる。張孟談が韓・魏を離間してその陰の結束を崩した例(前に述べた通り)や、班超が莎車における例のように、その助けとなる勢力を反間するのは、いずれも見習うべき方法である。間鄰について論じるならば、今の賊には隣国というものはない。しかし土寇と苗匪とは、その勢いはあたかも隣国どうしのようなものである。今日の計としては、土寇を離間して苗を撃たせ、苗匪を離間して賊を撃たせるのに勝る策はない。撫でて降伏させることができなければ、利をもって動かす。利をもって動かすことができなければ、爵位をもって誘う。爵位で誘うことができなければ、威をもって脅す。恩情で結びつけたうえで反間すれば、両者はそれぞれ間諜として働かされ、互いに攻め合うことになる。苗と賊とが互いに攻め合うさまは、たとえば二匹の虎が闘うようなもので、強い方も必ず傷つき、弱い方は必ず斃れる。弱い方が斃れるのを待って、傷ついた強い方を撃てば、労力は半分で功は倍になる。何もわざわざ人を虎と闘わせる必要はないのである。またたとえば狩りのようなもので、猟犬をけしかけて狐や兔を捕らえさせればよいのであって、どうしてわざわざ人を狐や兔と闘わせて傷つけ合わせる必要があろうか。今、間諜を用いずにいきなり訓練した兵を苗や賊と戦わせるのは、まさに人を狐や兔と闘わせるようなものである。良民と逆賊とを互いに傷つけ合わせるのは良策ではない。ただ苗と賊とを離間して互いに闘わせれば、両者はひとしく逆賊であるから、勝てば喜ばしく、敗れて死傷しても惜しむには当たらない。訓練した兵でその威を助け、その胆を壮んにし、その後方を制して功を収めればよいのである。古人の間鄰の法は、その意を師として今日に変通して用いれば、大いに今に活用できる。古人の兵書を読むにあたっては、必ずしもその文言に拘泥して、丹を刻んで剣を求めるような愚を犯す必要はない。神妙自在にこれを変通することを貴ぶのである。